labo-12【本能寺の変探求委員会】
| ■ 連歌のルール |
『愛宕百韻』について、各句に織り込まれた光秀や紹巴の心情を推し量るためにも、まず連歌そのものの仕組みや行い方について知っておく必要があると思われ、調べてみました。
基本的な仕組み
連歌というのは、我が国の韻文学の一形態であって、その昔に短歌一首の上と下の句を二人で分けて別々に詠んだことから起こったものだと言います。鎌倉から室町時代には、数人で、五・七・五の長句と七・七の短句とを交互に重ねて一編を作るようになり、それを繰り返して連続させることから「連歌」と呼ばれるようになったそうです。
普通は100句まで続けた「百韻」(実際は99句)を基本として、短いものは20、50句のものもあり、長いものでは千句、万句に及ぶ場合もあったようです。連歌は、最初の第一の句を長句(五・七・五)とし、これを『発句(ほっく)』と呼びました。次の短句(七・七)を『脇(わき)』と呼び、句をつけることを『付け合い』といいます。第三の長句(五・七・五)を『第三』、順に『第四』『第五』『第六』と呼びます。第三以降の句は、五・七・五の長句と、七・七の短句を参加者が交互につけ合います。それぞれに、本当は専門的な様々な呼び名があるようですが、基本的には「前句」と「付句(つけく)」を交互に繰り返してゆきます。
実際の流れを「愛宕百韻」で追って説明しますと、
まず光秀がその日の主賓として発句を詠みあげます。これが下の長句(五・七・五)です。
ときは今天が下しる五月哉 光秀 これに対して次の短句(七・七)「脇」を付けたのは、この連歌会を主催した亭主である
愛宕西之坊威徳院住職の行祐です。
水上まさる庭の夏山 行祐 これで発句と脇が揃い、
上の句(長句の五・七・五)と下の句(短句の七・七)が完成し一つの短歌として形成されました。
ときは今天が下しる五月哉
水上まさる庭の夏山問題は、次ぎの句との繋がりですが、それは上の第二句である脇につなげていくことになります。これは短句(七・七)でしたから、次ぎに付けるのは長句(五・七・五)ということになります。しかし、短句が先にあって長句が後に来る(七・七・五・七・五)という形式は有り得ないわけですから、次ぎにつける長句というのは、先にある脇(短句)が、これから付ける長句の後に繋がるようになる長句を後からつけるという具合になるのです。この連歌会の宗匠をつとめた里村紹巴の第三をみてみましょう。
花落つる池の流れをせきとめて 紹巴 この第三がつけられた時点で、発句へつけた脇が第三の下の句ともなるわけです。
花落つる池の流れをせきとめて
水上まさる庭の夏山今度は、第三を上の句として、脇の代わりに別の下の句を付ける形でつながっていきます。
これが第四の下の句(短句)です。
風に霞を吹き送るくれ 宥源 この第四がつけられた時点で下の短歌が出来上がったことになります。
花落つる池の流れをせきとめて
風に霞を吹き送るくれこうして、更にこの第四の短句を下の句として繋がる第五の長句が詠まれていくわけです。歌としてみてみますと、五・七・五の長句と、七・七の短句でひとまとまりになり、一つの短歌ができあがったことになるわけですが、次々と下の句や上の句を入れ替えるようにつなげて、同じ句が別の歌になるように発想の転換が繰り返されて行きます。しかし、そこには、先に詠まれた句のもつ意味合いや雰囲気、発想などを十分にくみ取りつつ、意識の流れが途切れることなく続いてゆくように織り上げていくのです。そして、最終の句は短句(七・七)となり、締めくくりを意味する『挙句(あげく)』と言います。
上記のように、複数の人が寄り集まって長句と短句とを交互に付け進め、最後の挙句まで連ねていくため、ひとつ前の句が出されるまでは先が見えず、その場で創作し、鑑賞しながらすぐにまた創作するという難しさと楽しみの両面を連歌というものは持っているのです。このように、連歌は即興性の強いものと言えます。
他に馴染みのある言葉の遊びとしては「尻取り」遊びなどが挙げられるかも知れません。しかし、連歌はその即興性だけでなく、根底に文学的、古典などの知識を持つ必要性もあり、しかも個人の資質だけではどうにもできない参加者共同で織りなすもので、世界でも他に例を見ない文学形態だと言えます。
このように参加した人達それぞれの思いを深めていくものではありますが、一旦最後まで詠みあげて完成してしまうと、後からそこに書き記された句に接しても、その臨場感といった連歌の醍醐味を追体験するのはとても難しいことのようです。このことが、単独でできる短歌や和歌、俳句などにくらべて、何人もの人が寄り集まって行わなければならないという連歌の環境的な違いも上乗せされ、連歌が馴染み難いものとされてきた理由だったのかも知れません。
連歌のルール・式目
また、連歌は和歌とはちがって、その一句一句が独立した内容を持つように句を詠まなければなりません。実は連歌には、いくつもの細かなルールがあります。これを「式目」と言います。そして、この式目に従って全体を統括する審判のような役割をする人を「宗匠」と呼びます。宗匠の監督のもとに、出された句を読みあげ、式目に適っているかどうかを確かめ、これを懐紙に書き留める記録(書記)係を「執筆(しゅひつ)」と呼びます。
連歌の会席では、床の間に連歌の神である天神の画像もしくは名号を掛け、これを背にし、文台を前にして執筆が、その横に宗匠が着座することになっています。長谷寺蔵に残されている「天神祭礼絵」などの絵画にその様子が描かれており、当時を伺う資料となっています。
懐紙の使い方
懐紙というのは、連歌を書き記す紙のことです。連歌ではこの懐紙を二つ折りにして使用するのですが、百韻連歌では四枚、歌仙連歌では二枚使います。その一枚を折(おり)と言い、横に二つ折りにして表と裏の面をつくり、一頁目に当たる初折(しょおり)の表に八句、裏に十四句、二頁目の二折(にのおり)と三折(さんのおり)にはそれぞれ表に十四句、裏に十四句、最後の四頁目を名残折(なごりのおり)と言い、この表に十四句、裏に八句を記します。初折の書きはじめには、張行(開催)年月日、場所、賦物を記入します。賦物というのは、昔は各句の中に事物の名を詠み込むようにしたものでしたが、その後は発句にのみ形式的に残るだけとなりました。
余談ですが、この愛宕百韻では三折裏には十三句しかないので、実際には百韻でなく九十九韻となってしまっています。
一番最初の句となる発句は、必ずその会の主賓が詠みます。次の第二句目の脇句は会を催した亭主が詠み、第三は宗匠が詠み、以下連衆が順に詠んでゆきます。このように順番に詠んでいく方法を膝送り(ひざおくり)と言いますが、一順した後は早く詠んだ者から付けていく出勝ち(でがち)という方法を採る場合もあります。また、詠まれた各句は、宗匠によって式目に抵触するか否かなどが判定され、場合によっては返されてしまうこともあります。一番最後の句となる挙句までいくと、懐紙の余った部分に句上(くあげ)と称して、一座に加わった連衆全員の名前とそれぞれの出句数を記します。句数を見ると、各人の力量や立場が読み取れることにもなります。
輪廻を避ける
連歌の本質は「変化」にあります。ですから最も注意しなければならないのは、同じような発想・イメージ・同じ言葉の繰り返しをすることです。これを「輪廻」と言い避けねばなりません。
連歌で句を詠む場合は、前句に付けて詠んでゆくわけですが、そのまたひとつ前の句(打越)からは発想の転換を図り、内容的に異なったものにするのが大原則となっているのです。連歌というものが何よりも次々に変化することを尊ぶ文芸であることは既に述べましたが、常に新たな変化を即興的に続けていくところに趣がある以上、同じ事の繰り返しになってしまったのでは面白みが失せてしまうのです。
式目も、この変化を保つためにつくられた決まりなのです。ですから、同じテーマの内容の場合には何句まで続けて良いかという句数(くかず)を制限するルールや、同じ語を反復して使用するには何句隔てなければならないかという句去(くさり)のルールが主な決まりとなっています。この句数と句去の決まりを守ることで、四季、夜分、光物、聳物、降物、山類、水辺、動物、植物、人倫、居所、衣装、旅、名所、恋、述懐、神祇、釈教などの様々な素材が偏りなく現れるわけです。しかし、変化を求めるあまりに乱脈に陥ることも避けなければなりません。そのために、発句は季語を要すとか、春・秋・恋の句は二句以上五句以内とするとか、月・花の定座を置くとかといった更に細かい式目を定めたりもしたようです。その張行ごとに個別の式目を定める場合や問題句の処理については、宗匠が差配します。連歌は中世の詩ですから、当時の宗教的な観念や実利主義とも無縁ではありません。例えば、神仏に手向けて楽しませる法楽、さらには、安産・新宅造営・戦勝・旅中安全・病気平癒などの祈祷、故人の追善など生活の様々な場面で折に触れて張行さました。
明智光秀が愛宕神社で五月に張行した連歌は、愛宕神社の祭神「勝軍地蔵菩薩」に戦勝祈願するためのものだったと言えます。光秀は織田信長に命じられて、豊臣秀吉の毛利征伐に援軍として出発することになっていましたので、そのための戦勝祈願だと言えば何ら問題にはなりませんが、その後の歴史を知っている我々にとって光秀の『愛宕百韻』が本能寺で信長を討つために自らが攻め込む戦への戦勝祈願であったことは間違いのないことです。
連歌の基礎用語 発 句 ほっく 連歌の初めに詠まれる句のことで、挨拶の句とされ、通常はその会の主賓が詠みます。季語、切れ字を要するという式目が多い。季語は当季でなければならないようです。挨拶の句とされる発句は連歌の一番大事な、すべての起こりですから、ここから変転果てしない連歌の世界が始まるのです。 脇 わき 発句に添えて詠み、座を用意する亭主が詠みます。当季、体言止めとします。 第 三 だいさん 脇から句境を一転せしめる句で、「て留め」とする。 平 句 ひらく 第三から挙句までの間の句のすべてをこう呼ぶ。 挙 句 あげく 連歌一巻を締めくくる最後の句。 句 上 くあげ 挙句のあとの余白に、それぞれが詠んだ句数を列記したもの。 興 行 こうぎょう 連歌をすること。張行(ちょうぎょう)ともいう。 脇起り わきおこり 発句に芭蕉など古人の発句を借用して、脇から連歌を巻くこと。 付 合 つけあい 付け方、付け味などをいう。異質なものを出会わせ、思いがけないイメージや発想を引き出す装置としての連歌の面白さは、この付合の妙にある。 前 句 まえく 付句をする句をいう。 打 越 うちこし 前句の前の句をいう。 式 目 しきもく 連歌一巻を巻くにあたって、変化を保証し乱脈を避けるためのルール。 句 数 くかず 春・秋・恋の句が出たら二句以上続け、五句を越えない。その他は一句で捨ててもよい。 去 嫌 さりきらい 同じイメージや発想の繰り返しを避け、連歌一巻に変化を確保するためのルール。 輪 廻 りんね 同じ発想、イメージ、言葉が繰り返されること。 観音開き かんのんびらき 打越と付句は前句を挟んで同じイメージや発想が繰り返されがちなので、注意を要する。これも輪廻の一つ。 孕み句 はらみく 前もって詠んでおく句。場における即興の付けが連歌の醍醐味なのだから、慎むべきである。 求 食 あさる 自分の句に続けて付けること。出勝のときに起きるので注意を要する。 定 座 じょうざ 月と花の定座があり、月は面に一つ、花は折に一つとされている。これは障害物のようなもので、あらかじめ定座の位置を決めておけばよい。 出勝ち でがち 一座で早く出句した人の句を採用する方法。 膝送り ひざおくり 一座した人たちが順番に詠んでいく方法。 懐 紙 かいし 連歌を書き記す紙。二つ折りにした懐紙を、百韻連歌では四枚、歌仙連歌では二枚使う。その一枚を折(おり)といい、横に二つ折りにすると表と裏の面ができる。 端作り はしづくり 懐紙の冒頭(初の折の表の右端)に余白をつくって、右に「年月日」、中央に「○○連歌△△の巻」などの形式と巻名、やや下げて左に「於○○」と連歌興行の場所を記す。巻名は初句を記しておけばよい。 文 音 ぶんいん 手紙で句をやりとりして連歌を巻くこと。 連 衆 れんじゅう 連歌の座に参加する人をいう。 宗 匠 そうしょう 捌きともいい、連歌一巻の完成に責任をもつ人で、一座のコーディネイター。問題句の取捨選択は宗匠の差配による。 客 きゃく 一座の客として招かれた人をいい、発句を詠む。 亭 主 ていしゅ 連歌の座を提供する人で、言わばパトロン。 執 筆 しゅひつ 詠まれた句を懐紙に記録する書記役であり、一座の進行役。 百韻連歌 ひゃくいんれんが 中世の連歌の基本的な形式で、百句を詠み継ぐ形式。百句を百韻というのは連歌の成立に影響を与えた中国の聯句(合作漢詩)からきている。同じようなものに五十韻連歌があるが、現代連歌ではほとんど行なわれない。 歌仙連歌 かせんれんが 江戸中期以降の俳諧で一般的になった形式。三十六歌仙にちなんで三十六句を詠み継ぐもので、現代連歌の基本型式になっている。懐紙二枚を使い、「初の折」には表六句、裏十二句、「名残の折」には表十二句、裏六句を記す。最後の余白に句上をする。 半歌仙連歌 はんかせんれんが 歌仙の半分の十八句を詠むもので、時間的余裕のない現代においてしばしば巻かれる。懐紙は一枚で、「初の折」のみを使う。 花信風連歌 かしんふうれんが 二十四番花信風にちなんで二十四句を詠み継ぐ。半歌仙では物足りないときに巻くとよい。 独 吟 どくぎん 多人数で興行する連歌を一人で巻くこと。二人で巻くのを両吟、三人で巻くのを三吟という。
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