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labo-12【本能寺の変探求委員会


 愛宕百韻

里村紹巴の句

「愛宕百韻」の中から連歌師・里村紹巴の詠んだ*句のみを取り出してみました。本来「愛宕百韻」は連歌という形式をとっておりますから、作者別に句を並べても、その前後の句との関係を見なければ連歌としての意味を成さないことは明かです。
 しかし、ここでは敢えて紹巴の詠んだ18句だけを集めてみました。もしもこの「愛宕百韻」が、本当に光秀の決意を身近な者達に伝える意図があったのなら、その意を受け止め、返す言葉にこそ連歌師としての里村紹巴の気持ちが込められたと思えてなりません。彼の詠んだ句、そしてそこで使われた語から何かを感じてみたいと思います。

 No. 里村紹巴が詠んだ句
003  花落つる 池の流れを せきとめて
012   波のまがひの 入海の里
019  たたく戸の 答へ程ふる 袖の露
024   たのみがたきは 猶後の親
031  春日野や あたりも広き 道にして
034   たわわになびく いと萩の色
037  呉竹の 泡雪ながら 片よりて
041  山風の 吹きそふ音は たえやらで
044   心のうちに 合ふやうらなひ
053  しほれしを 重ね侘びたる 小夜衣
060   一筋白し 月の川水
063  里遠き 庵も哀に 住み馴れて
068   わかれてこそは あふ坂の関
073  急雨の 跡よりも猶 霧降りて
076   山より山に うつる鶯
082  行く人も あらぬ田の面の 秋過ぎて
088   埋みつる竹は かけ樋の水の音
093   とりどりにしも うたふ声添ふ

 どうでしょうか?里村紹巴の心境が伝わってきましたか?
やはり、連歌をバラバラにばらして作者別に並べてみても上手く解釈できないようですね。

 ともあれ、個々の句を、その前後の句や当時の状況などを踏まえながらの個別解釈をしてみましょう。

 上の表の各行頭の句番号をクリックして下されば、それぞれの句の解釈のところへジャンプします。


 花落つる池の流れをせきとめて


 この句は、光秀の発句ときは今天が下しる五月哉を受けて、さらに続けられた行祐の脇句『水上まさる庭の夏山』に続く里村紹巴の最初の句です。
 句頭にある『花落ちる』の解釈については、何とも意味深ですが、以前から二通りあるようです。
 一つは、『花(
信長)が落つる(死ぬ)』という解釈。この解釈ですと、池の流れをせきとめているのは信長自身であり、『池の流れ』というのは、朝廷によって永く受け継がれてきた律令制を意味しているのでしょうか。朝廷が治める国家の秩序をも信長が滞らせている。だから、信長を討つことは罪悪ではない。むしろ進んで今こそやるべきだ。という解釈。また、『池の流れ』というのを信長が推し進める天下布武のことととらえるなら、信長の首を落とし、信長が進める新しい支配体制の確立をくい止め、天皇の秩序を取り戻そうというものでしょうか。
 更に『花落ちる』のもう一つの解釈は、『花(
光秀の計画)が落つる(失敗に終わる』というものです。こちらの解釈では、更に続く『池の流れをせきとめて』の部分を、「(信長暗殺の)計画は上手くはいかないだろうから、考え直しなさい。」と紹巴が諭しているといった解釈となるようです。
 しかしこの二つの解釈では、どちらも
光秀の発句の真意が「信長を討つこと」にあるとなります。むろん、この発句以前からその計画を知らされていた可能性もありますし、この発句を聞かされて初めてその決意を知ったという解釈も成り立つでしょう。本当に光秀の発句は信長を討つことを宣言したものだったのでしょうか。明確に連歌の裏に潜む真意を読み取ることは難しく、謎は謎のままですが、何もかもが光秀の発句の意味次第で解釈が大きく変化してしまうことは確かです。

 この謎の真意を紐解く鍵は、紹巴の日記の改竄という作業に込められているように思えてなりません。本能寺の変後、山崎で光秀が敗れると、秀吉からこの連歌会で光秀の決意を事前に知らされていたにも関わらず、信長に報告することなく明智に与し、企てに荷担したのではないかとの疑いをかけられた際に、紹巴は自分の日記の該当個所を書き直しているのです。それによれば、光秀の句は、

        ときは今天が下五月哉

 ・・・であったとし、五月雨(さみだれ)の情景を詠んだものに過ぎないため、自分には光秀の謀叛を知る由もなかったと弁明をしているのです。この改竄の意味するところは、やはり光秀の決意を読み取り、光秀が信長を討つと知っていたことの証しではないでしょうか。本当に五月を詠んだだけの句であるなら、何もわざわざ改竄する必要などないと言えるのではないでしょうか。

 さらには、光秀の発句に続いた愛宕西之坊威徳院住職である行祐の脇句水上まさる庭の夏山は、連歌のルールからみたとき、光秀の発句(上の句/5・7・5)と紹巴の第三句であるこの句(上の句/5・7・5)に共通する下の句(7・7)となりますから、この脇句の解釈も十分にする必要があると思われます。(→行祐の脇句解釈へ)

 波のまがひの入海の里

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 たたく戸の答へ程ふる袖の露

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 たのみがたきは猶後の親

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『親』は「正親町帝」を指しているのでは?

 春日野やあたりも広き道にして

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 たわわになびくいと萩の色

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 呉竹の泡雪ながら片よりて

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 山風の吹きそふ音はたえやらで

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 心のうちに合ふやうらなひ

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 しほれしを重ね侘びたる小夜衣

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 一筋白し月の川水

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 里遠き庵も哀に住み馴れて

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  里遠き庵も哀れに住み馴れて  
   捨てしうき身もほだしこそ あれ  
  みどり子の生ひ立つ末を思ひやり  

 この句とそれへの付け句では「人里離れたこの庵にも住み馴れた、世を捨てた身でも捨てきれない係累はあるが」といった逆接の意味で、更にそれに続く句では「気がかりな幼い子の将来を思いやると、世を捨てた身にも捨てきれない係累があることだなあ」といった強調の意味になっている。

 わかれてこそはあふ

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 急雨の跡よりも猶霧降りて

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 山より山にうつる鶯

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 行く人もあらぬ田の面の秋過ぎて

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 埋みつる竹はかけ樋の水の音

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 とりどりにしもうたふ声添ふ

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12研究室愛宕百韻全文

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