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第10研究室【文書解読】史料歟

 

信長公記


巻十五
卅二、  信長公本能寺にて御腹めされ候事

翻 刻 文
 (卅二)信長公本能寺にて御腹めされ候事

(卅二) 既に信長公御座所本能寺取り巻き、勢衆、四方より乱れ入るなり。信長も御小姓衆も、当座の喧嘩を下々の者共仕出し候と思食され候の処、一向さはなく、ときの声を上げ、御殿へ鉄炮を打入れ候。 是れは謀叛歟、如何なる者の企てぞと御諚の処に、森乱申す様に、明智が者と見え申候と言上候へば、是非に及ばずと上意候。透をあせらず、御殿へ乗り入り、面御堂の御番衆も御殿へ一手になられ候。御厩より矢代勝介・伴太郎左衛門・伴正林・田村吉五、切って出で討死。此他、御中間衆、藤九郎・藤八・岩・新六・彦一・弥六・熊・小駒若・虎若・息小虎若初めとして廿四人、御厩にて討死。
  御殿の内にて討死の衆、
 森乱・森力・森坊兄弟三人、小河愛平・高橋虎松・金森義入・菅屋角蔵・魚住勝七・武田喜太郎・大塚又一郎・狩野又九郎・薄田与五郎・今川孫二郎・落合小八郎・伊藤彦作・久々利亀・種田亀・山田弥太郎・飯河宮松・祖父江孫・柏原鍋兄弟・針阿弥・平尾助・大塚孫三・湯浅甚介・小倉松寿、
御小姓衆懸り合ひ\/討死候なり。湯浅甚介・小倉松寿、此両人は町の宿にて此由を承り、敵の中に交入り、本能寺へ懸込討死。御台所の口にては、高橋虎松暫し支へ合ひ、比類なき働きなり。
信長初めには御弓を取合ひ、二・三つ遊ばし候へば、何れも時刻到来候て、御弓の絃切れ、其後御鑓にて御戦ひなされ、御肘に鑓疵を被られ引き退き、是れまで御そばに女共付きそひて居り申し候を、女はくるしからず、急ぎ罷り出でよと仰せられ、追ひ出させられ、既に御殿に火を懸け焼来たり候。 御姿を御見せ有間敷と思食され候歟、殿中奥深く入り給ひ、内よりも御南戸の口を引き立て無情に御腹めされ、
 

現代語訳
 (卅二)信長公本能寺にて自害の事

(卅二) 既に信長公御座所本能寺取り巻き、勢衆、四方より乱れ入るなり。信長も御小姓衆も、当座の喧嘩を下々の者共仕出し候と思食され候の処、一向さはなく、ときの声を上げ、御殿へ鉄炮を打入れ候。 是れは謀叛歟、如何なる者の企てぞと御諚の処に、森乱申す様に、明智が者と見え申候と言上候へば、是非に及ばずと上意候。透をあせらず、御殿へ乗り入り、面御堂の御番衆も御殿へ一手になられ候。御厩より矢代勝介・伴太郎左衛門・伴正林・田村吉五、切って出で討死。此他、御中間衆、藤九郎・藤八・岩・新六・彦一・弥六・熊・小駒若・虎若・息小虎若初めとして廿四人、御厩にて討死。
  御殿の内にて討死の衆、
 森乱・森力・森坊兄弟三人、小河愛平・高橋虎松・金森義入・菅屋角蔵・魚住勝七・武田喜太郎・大塚又一郎・狩野又九郎・薄田与五郎・今川孫二郎・落合小八郎・伊藤彦作・久々利亀・種田亀・山田弥太郎・飯河宮松・祖父江孫・柏原鍋兄弟・針阿弥・平尾助・大塚孫三・湯浅甚介・小倉松寿、
御小姓衆懸り合ひ\/討死候なり。湯浅甚介・小倉松寿、此両人は町の宿にて此由を承り、敵の中に交入り、本能寺へ懸込討死。御台所の口にては、高橋虎松暫し支へ合ひ、比類なき働きなり。
信長初めには御弓を取合ひ、二・三つ遊ばし候へば、何れも時刻到来候て、御弓の絃切れ、其後御鑓にて御戦ひなされ、御肘に鑓疵を被られ引き退き、是れまで御そばに女共付きそひて居り申し候を、女はくるしからず、急ぎ罷り出でよと仰せられ、追ひ出させられ、既に御殿に火を懸け焼来たり候。 御姿を御見せ有間敷と思食され候歟、殿中奥深く入り給ひ、内よりも御南戸の口を引き立て無情に御腹めされ、
 

 


【注】

 ときのこえ
 ときの声   
「鬨の声」の意。多くの軍勢が敵方へ攻め掛かる際に、全軍の士気を向上鼓舞させるとともに、戦いの開始を告げる大きな叫び声のこと。(
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 もりらん・もりりき
  ・もりぼう・・・

 森乱・森力・森坊
 兄弟三人  
 
世間で有名な森乱丸とその弟二人、力丸、坊丸を略した表記。
森家の者達は皆信長の信認が深く、この若い兄弟も信長の小姓衆として側に仕えていた。乱丸などは既に城持ちの大名であるが、小姓のイメージが強くその実力等はあまり知られていない。この三人の墓は京都阿弥陀寺に並んである。(
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 おんなんど
 御南戸
「御納戸」の宛て字。(


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