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織田信長文書   <

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号文書>  天正元年十二月廿八日(1573)
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 出羽伊達輝宗宛朱印状 『伊達家文書』一
   影印を確認する 仙台市博物館収蔵


 (折封ウハ書)
 「謹上 伊達殿          信長

 

去十月下旬之珍簡近日到来、令拝披候、

誠遼遠示給候、本懐不浅候、殊庭籠之鴾鷹一聨、

同巣主大小被相副候、希有之至、歓悦不斜候、

鷹之儀累年随身異于他之処、執之送給候、別而自愛此節候、

則搆鳥屋可入置候、秘蔵無他候、仍天下之儀、如相聞候、

公儀御入洛令供奉、城都被遂御安座、数年静謐之処、

甲州武田・越前朝倉已下諸侯之侫人一両輩相語申、妨公儀、

被企御逆心候、無是非題目、無念不少候、然間為可及其断、

上洛之処、若公被渡置京都有御退城、紀州熊野辺流落之由候、

然而武田入道令病死候、朝倉義景於江越境目去八月遂一戦、

即時得大利、首三千余討捕、直越国へ切入、義景刎首、

一国平均ニ申付候、其以来若狭・能登・加賀・越中皆以為分国、

属存分候、五畿内之儀不覃申、至中国任下知候次第、不可有其隠候、

来年甲州令発向、関東之儀可成敗候、其砌深重可申談候、

御入魂尊要候、猶以芳問大慶候、必従是可申展之条、

抛筆候、恐々謹言、

    十二月廿八日         信長(朱印2)
     謹上 伊達殿

 (折封ウハ書)
 「謹上 伊達殿          信長





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去十月下旬之珍簡近日到来、令拝披候、

                     *2   *3   *4
誠遼遠示給候、本懐不浅候、殊
庭籠鴾鷹

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巣主大小被相副候、希有之至、歓悦不斜候、

 
鷹之儀累年随身異于他之処、執之送給候、別而自愛此節候、

                      *6
則搆鳥屋可入置候、秘蔵無他候、仍天下之儀、如相聞候、

 
公儀御入洛令供奉、城都被遂御安座、数年静謐之処、

 
甲州武田・越前朝倉已下諸侯之侫人一両輩相語申、妨公儀、

 
被企御逆心候、無是非題目、無念不少候、然間為可及其断、

 
上洛之処、若公被渡置京都有御退城、紀州熊野辺流落之由候、

 
然而武田入道令病死候、朝倉義景於江越境目去八月遂一戦、

 
即時得大利、首三千余討捕、直越国へ切入、義景刎首、

 
一国平均ニ申付候、其以来若狭・能登・加賀・越中皆以為分国、

 
属存分候、五畿内之儀不覃申、至中国任下知候次第、不可有其隠候、

 
来年甲州令発向、関東之儀可成敗候、其砌深重可申談候、

 
御入魂尊要候、猶以芳問大慶候、必従是可申展之条、

 
抛筆候、恐々謹言、             

 
    十二月廿八日         信長(
朱印2)

 
     謹上 伊達殿

 
 (折封ウハ書)
 「謹上 伊達殿          信長






  
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解説

                    
 この文書は『伊達家文書』に収蔵されている4通の信長文書のうちの一つで、伊達輝宗(正宗の父)宛の朱印状である。内容は、まず伊達輝宗が遠方から好を通じる為、非常に珍しい鴇鷹を贈ってこられたことへの謝詞を述べ、大いに歓び鳥小屋を造ってそこで飼うと返事している。鷹狩りは信長の趣味としても代表的なものの一つではあるが、「希有の至、歓悦不斜」とまで述べているところからも、相当に嬉しかったのであろう。また、これに続けて「天下之儀」として、上方の状況について武田信玄が病死したこと、朝倉義景を討ち滅ぼしたことなどを伝えるものである。
 
若狭・能登・加賀・越中をみな分国として、五畿内はむろんのこと中国地方まで下知するようになったと、少々誇大宣伝をし、来年は甲州武田氏攻めをするので協力して欲しいと要請している。信長は力攻めをしたというイメージ先行の認識を持たれる人が多いが、実際は、他国への侵攻をする場合、必ず遠交近攻策の定策を踏まえていた。武田攻めに際しても出羽の伊達氏まで声をかけていた慎重な部分が伺える資料の一つでもある。

文責/ 研究員「ら」   
   

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 【脚注】
   
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 (* 1) 去十月下旬 / さるじゅうがつげじゅん
   
この書状が、十月下旬発信の
伊達輝宗の書状に対する返信であることを示している。
その書状と進物が近日届いたと書いているので、伊達家の領国から信長の領国まで無事に届けられるまで約2ヶ月を要する状況であったと推察できる。
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 (* 2) 庭籠 / にわかご
   
庭に据えた鳥を飼うための篭(カゴ)のことであろう。
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 (* 3) 鴾鷹 / ときたか
   
「鴾」というのは鳥のトキのことであろう。しかし、ここでは鳥のトキそのものではなく、鴇色、つまりは淡紅色という意味ではなかろうか。そのような淡紅色の鷹ということだと思われる。もしそうであるなら、その後に「希有の至、歓悦不斜」というのも頷ける。相当に珍しいものであったのであろう。
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 (* 4)  / わ
   
非常に難しい文字であるが、「羽」という文字の旧字らしい。
「一聨」とあるので「一羽」ということらしい。
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 (* 5) 巣主大小 / すぬしのだいしょう
   
「巣」は鳥の巣のことであろうが、その主というのだから、やはり鳥(鷹)のことではないかと思う。その大小というのだから、巣に入る鷹の大きいものと小さいものを副えて贈ったという意味であろう。
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 (* 6) 天下之儀 / てんかのぎ

   
天下のことについてはと、ここでわざわざ述べるのは、将軍足利義昭を京より追放した後であっても、自らの施政は私的な目的のものではなく、あくまでも公の、天下のためのものであるという意味を込めていることがはっきりと読み取れる。
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★信長の中での「天下」とはどのようなものであったのか、その辺りを考える研究室も用意してありますので覗いてみて下さい。(→「第5研究室/政策/総合/天下」

 (* 7) *** / ***
   
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 (* 8) *** / ***
   
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  朱印 / しゅいん


この文書で使用されている朱印は第二形。
つまり馬蹄形のものである。
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 <改行位置について>
  
★翻刻文に於いては、仙台市博物館収蔵の『伊達家文書』の収蔵資料閲覧カードに当文書の影印マイクロフィルムの複製が写真として貼付収録されており、それにより改行位置が確認できた部分については『(└)』を文中に挿入し明確な改行位置を示した。 (影印を確認する)


   

●参考/新版 角川 日本史辞典    (角川書店) 
広辞苑 第四版        (岩波書店) 
新修名古屋市史第二巻     (名古屋市) 




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