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織田信長文書   <

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号文書>  天文十九年十二月廿三日(1550)
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尾張如法院座主宛判物 「密蔵院文書」『尾張国遺存織田信長史料写真集』
『張州雑志抄』十五
   


笠寺別当職備後守任判形之旨、

御知行分参銭・開帳、寺山、寺中御計之上者、
 
雖誰々申掠候、不可有相違者也、仍如件、

  天文拾九

    十二月廿三日             信長(花押)

     座主床下



 

 
*1  *2   *3    *4
笠寺 別当職備後守判形の旨に任せて、
       *5
御知行分参銭・開帳、寺山、寺中御計の上は、
   *6
誰々申し掠め候と雖も相違あるべからざる者也、仍って件の如し、

  天文拾九

    十二月廿三日          信長(花押1)

   座主床下





 
笠寺別当職(職は権利。利益収得権)は、備後守(信秀)の判形の通り、
 
知行分の参銭・開帳について、寺と一山中(僧侶)との裁量にせょ、
 
たとえ不服を申し立てる者があっても却下する。そのような訳でここに記した通りである。
 
  天文拾九年

    十二月廿三日          信長

   座主床下


 


解説

                    

 笠寺別当職(職は権利。利益収得権)は、父信秀の判形の通り、知行分の参銭・開帳について、寺と一山中(僧侶)との裁量にせょ、たとい不服を申立てるものがあっても却下するとの文意である。宛名の(熱田)座主坊は、如法院といい、熱田社の社僧で、神前の勤めをし神宮寺の事務には深く関与しない。『張州雑志抄』十五には、明応七年十一月五日寛村以下の判物写を収めてあり、「熱田座主坊」にあてている。
 密蔵院は、東春日井郡篠木村(春日井市篠木町)にあって、天台宗。笠寺は俗に笠寺観音といい、山号は天林山。名古屋市南区笠寺町にあって、笠覆寺ともいう。「笠寺縁起」は『統群書類従』に収めてある。

文責/ 研究員「ら」    
   

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 【脚注】
            *
 (* 1)  笠寺 / かさでら
 
 笠寺は俗に
笠寺観音といい、山号は天林山。
 名古屋市南区笠寺町にあって、笠覆寺(りゅうふくじ)ともいう。   
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 (* 2)  別当職 / べっとうしき
 
 本来は、律令官制に本官をもつ者が、別に他の機関の長官職に当たることを言ったが、後に
専任の長官を広く称するようになった。また、諸大寺に於いても、寺務を統括する長官としての別当(僧)が設置された。「識」は権利、利益収得件の意。
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 (* 3)  備後守 / びんごのかみ
  
 
信長の家は、代々、弾正忠および備後守を名乗っているが、ここでの備後守は、信長の父、信秀を指していると思われる。
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 (* 4)  判形 / はんぎょう
   
 
判物のこと。花押(書判)を据えた直状形式の文書で、印を捺す印判状との対比的な語句。所領の宛行、安堵、特権付与、軍勢催促、感状として使われた。ここでは、「備後守任判形之旨」とあるので、父・信秀が出した識分安堵の判形に書かれた内容の通りにその権利を認めるということである。(↑戻る
 (* 5)  開帳 / かいちょう
 
 寺社
が、秘蔵する神仏を結縁のために人々に礼拝させる宗教的行事。寺社の修造費を得るなど寡財を主な目的とし、縁日や法会などの短期間のものから、原則として33年に一度、五十日から六十日間行われる長期間のものがある。
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 (* 6) 申し掠め / もうしかすめ
 
 
不服の申立。(↑戻る

●参考/増訂 織田信長文書の研究 上巻(吉川弘文館)
新版 角川 日本史辞典    (角川書店) 
広辞苑 第四版        (岩波書店) 
新修名古屋市史第二巻     (名古屋市) 




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