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織田信長文書   <

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号文書>  元亀元年12月日(1570)
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山城本能寺宛禁制 『本能寺文書』二〇
   文書影印を確認する

   条々            本能寺
一、為定宿之間、餘人寄宿停
  止之事、付、四壁竹木不可伐採事、
一、祠堂物之儀、御代々任御下知
  之旨、不可有相違之事、
一、非分諸役不可申懸之事、
右於違背之輩者、速可被処
厳科者也、仍執達如件、
   元亀元年十二月 日        弾正忠(朱印2)



   条々            本能寺
    *1      *2          *3
一、定宿たるの間、餘人寄宿停止之事、付り、四壁の竹木を伐採すべからざるの事、
   *4
一、祠堂の儀、御代々の御下知に任せて、相違あるべからざるの事、
一、非分の諸役を申し懸くるべからざるの事、
                                    *5
右違背の輩に於ては、速やかに厳科に処せらるべきもの也、仍って執達件の如し、
                                  *6
   元亀元年十二月 日             弾正忠(朱印2


   条々            本能寺
 
一、本能寺は信長の定宿であるから、他の者が寄宿し、
  付けくわえて、寺領の周辺の竹木を伐採するのを禁止する、
一、寄進を受けた祠堂銭や祠堂米については、歴代の将軍の御下知の
  通り、これまで通り安堵する、
一、不法な負担を課税してはならない、
 
右の条に従わず不法の輩に於ては、速やかに厳科に処せらるべきもの
である。以上の通り(将軍に代わって)伝達する、
 
   元亀元年十二月 日           弾正忠(朱印)
 


解説

                    

 この文書は、いわゆる禁制というもの。
信長の文書の内この禁制とよばれる文書は全部で***通ある。これは、信長が人生を閉じた場所として有名な彼の本能寺であり、第一条に「定宿たるの間」とあって、ここを信長が京の定宿としていたことが解る。しかし、信長が最初に上洛して以来、本能寺への宿泊については「定宿」と呼べるような状況にない。信長は京の宿所として本能寺をどのように利用していたのか。その変遷を振り返ることで、本能寺自体の宿所としての役割や性格については別項を設けて考察をしているので、そちらも確認して欲しい。(→lab-12「京に於ける信長宿所の変遷<テーマ年表>」について)
 

文責/ 研究員「ら」    
   

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 【脚注】
     
    *本文書は影印が確認できたため「翻刻」にあたっては、改行位置をも忠実に復元した。
 
 (* 1) 定宿 / ていしゅく 
   
 信長が
京都の宿所としてこの本能寺を定宿と決めていたことを明確に示す文言である。
 信長が何故この本能寺を定宿に定めたのかについては、当時の法華宗の寺院が堀や土塁を設置した
城郭的な構造を要していたことや、種子島に末寺をもつことから鉄砲の流通に深く関わり合いをもつ法華宗寺院を抑えておくということなどが挙げられているが、本当のところは何故か判明していない。
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 (* 2) 餘人 / よじん
   
余人。他の人。それ以外の人。ここでは信長とその関連の者以外という意。
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 (* 3) 四壁 / しへき
   
寺や屋敷の東西南北の四片、四方の周囲。
ここでは、防火、防災、防風などの意味から寺の廻りを囲むように植えてある竹木の伐採を禁止している。
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 (* 4) 祠堂物 / しどうぶつ
   
祠堂は死者の冥福を祈るための禅宗特有の堂社のことだが、祠堂物とは、その堂社の修復を名目に寄進させる金銭(祠堂銭)や供物としての祠堂米のこと。室町期には寺院側はこの祠堂銭を貸付元本として運営し、幕府も徳政令の適用を除外し保証していたので、禅宗寺院の金融活動は拡大した。条文の中に「御代々任御下知之旨」とあるのも幕府によって代々許されてきたということではないだろうか。
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 (* 5) 執達 / しったつ
   
通常の書留文言としては「仍如件」や「仍状如件」があるが、この「執達」は上位者からの意を下の者へ伝達するという意味なので、この文書の発給者は信長であるが、この禁制で安堵しているのは将軍足利義昭の意を伝達しているという意味にとらえられる。寺社領の安堵は通常は将軍権力(天下)によって為されるものとの考え方もあり、その考え方からすれば頷ける内容ではないかと思われる。永禄11年9月付の本能寺宛禁制(→NO.119号文書)でも同様に「執達」が使用されている。
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 (* 6) 朱印2 / しゅいん2

 『増訂 織田信長文書の研究』下巻(吉川弘文館)の分類に従い、左図のの通り馬蹄形の
 「天下布武」印が捺されていることを示す。朱印が捺されたということからも解るように、
 これは木製の制札ではなく原文書は書面である。(
影印確認
  
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●参考/増訂 織田信長文書の研究 上巻(吉川弘文館)
新版 角川 日本史辞典    (角川書店) 
広辞苑 第四版        (岩波書店) 
織田信長家臣人名辞典     (吉川弘文館)




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