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佐久間信盛発給文書   <参考

S-1
号文書>    年不詳 七月廿五日(15??)
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参考−1 尾張熱田社惣儉校等宛佐久間信盛等連署状 『田島氏文書』

*佐久間信盛の単独の発給文書ではなく下記の四名での連書状である。

 

  明日・明後日内可被相果候、

今度東脇・大瀬古御礼銭之儀付而申事候、此方ニて可有批判儀候ヘ共、

宮中の事、先年●於神前大法被相定之由候条、六ケ村宿老中被仰付、

如前々被成御異見、可相果候、不可有御油断候、恐々謹言、

  

    七月廿五日       佐久間半羽介
                   信盛(花押)

                赤川三郎右衛門尉
                   景広(花押)

                村井吉兵衛
                   貞勝(花押)

                嶋田所助
                   秀順(花押)

 祝言師殿
 千秋 殿
 惣儉校殿
     人々御中

 




 

     明日・明後日内可被相果候、
              

   今度東脇・大瀬古御礼銭之儀(*1)付而申事候、此方ニて可有批判儀候ヘ共、
      
                        
   宮中(*2)
の事、先年(*3) (*4)於神前大法被相定之由候条、
       
   六ケ村(*5)宿老中被仰付、
   
   如前々被成御異見、可相果候、不可有御油断候、恐々謹言、
   
                        

       七月廿五日      佐久間半羽介(*6)
                    信盛(花押)
                  赤川三郎右衛門尉
                    景広(花押)

                  村井吉兵衛(*7)
                    貞勝(花押)
                  嶋田所助
                    秀順(花押)
      
 
   祝言師(*8)殿
   千秋 殿
   惣儉校殿     

        人々御中(*9)

  



  

  明日・明後日のうちに決定すべきでことである、

この度 東脇・大瀬古の御礼銭について訴えがあり、本来なら当方にて裁判すべきところですが、

熱田社領内のことについては、先年から神前で大法として処置すると決めておりますので、

六ケ村の宿老に指示すればよいでしょう。

前々からのとおりに御異見され、決定されるべきでしょう。

ご油断ありませんよう、恐れながら謹んで言上申し上げます。

   七月廿五日      佐久間半羽介   信盛(花押)
              赤川三郎右衛門尉 景広(花押)
              村井吉兵衛    貞勝(花押)
              嶋田所助     秀順(花押)

 祝言師殿
 千秋 殿
 惣儉校殿

     人々御中

  

   


解説

                    
この文書は佐久間信盛の初見文書である。この時はまだ、「半羽介」を名乗っている。

文責/ 研究員「ら」   
   


 【脚注】
             *
 (* 1) 東脇・大瀬古御礼銭之儀 / 
   
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 (* 2) 宮中 / きゅうちゅう
   
 神社の境内の意。当時は熱田神宮の境内、またその近隣周辺までも含めてそのように呼んでいた。この場合はその意を含み「
熱田社領内」として良いだろうと思う。(↑戻る
 (* 3) 先年 / せんねん
   
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 (* 4)  / 難読文字の部分
   
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 (* 5) 六ケ村 / ろっかそん
   
 本来熱田の場合は「市場、田中、神戸、今道・宿、大瀬子、中瀬、東脇、須賀」という八カ所を総称して「八ケ村」と呼んでいた。この書状の場合、訴えのあった東脇、大瀬子のニケ村を除いた六ケ村を指していると思われる。
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 (* 6) 半羽介 / はばのすけ
 
 佐久間信盛のことではあるが、この名乗り「半羽介」についてはこの文書の他に『伊勢古文書集』にも記載がみられるが、いずれも原本は確認できない。一部では「出羽介」の写し間違えではないかとも考えられていたようであるが、『尾張巡行記』中の『田島文書』では、「ハバノスケ」というルビがわざわざ振られているところから、写し間違えなどでなく「半羽介」で、読みも「ハバノスケ」となることでよいように思われる。
 永禄五年(1562)十月九日には「右衛門尉」を称しているので、それ以前のものということになろう。
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 (* 7)吉兵衛  / きちべえ
   
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 (* 8) 祝言師 / ?
   
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 (* 9) 人々御中 / ひとびとおんちゅう
 
 これは脇付(わきづけ)と呼ばれるもので、宛所へ直接話しかける非礼を避ける為に側近の者に取り次ぎを依頼するということを意味している。この書状の場合なら、宛所が「尾張熱田社惣の祝言師殿、千秋殿、惣儉校殿」になっているので、その側近へ取り次ぎを依頼した体裁をとっていることになる。つまりこれは、現在で言うなら「侍史」や「机下」といった脇付と同様のものといえる。(↑戻る
   
 成立年不詳 / 

 
 この文書の成立については、まったく確証が得られていない。しかし連署している各人が信長の奉行の者達であることから、連署した者達が信長麾下に属した時代の発給と思われる。しかし同時に、信秀時代の可能性も否定し得ない。また、佐久間信盛が「半羽介」、村井貞勝が「吉兵衛」の仮名を名乗っていることから、少なくとも●●●●年以前の成立であることが解る。
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●参考/増訂 織田信長文書の研究 上巻(吉川弘文館)
新版 角川 日本史辞典    (角川書店) 
広辞苑 第四版        (岩波書店) 
新修名古屋市史第二巻     (名古屋市) 




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