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第8研究室

文化】趣味

茶の湯
 日本への囲碁の伝来

 

日本への囲碁の伝来


日本への伝来

 囲碁が日本に伝来した時期については今のところ明確ではないようです。
しかし、636年に記された隋書の『倭国伝』には日本人が囲碁を好むことや、701年び「大宝律令」・「僧尼令」等にも囲碁のことが記されていますので、日本への伝来はそれ以前からであると考えられています。

 607年(飛鳥時代<592-710>)、推古天皇の時代に遣隋使を中国の隋へ派遣し、翌年(608年)には、隋の皇帝は文林郎裴世清(ぶんりんろうはいせいせい)を隋の使いとして日本に送っています。この裴世清が日本に来て様々なことを調べ体験したことを記録したのが「隋書・倭国伝」です。そこには、「倭人(日本人)は仏法を敬い、囲碁、すごろく、バクチの戯を好む」と記されいます。

 日本でも、それから百年後の701年には「大宝律令(たいほうりつりょう)」が制定されました。これは隋や唐のような強大な国づくりを目指し、政治、学校、土地、身分などの仕組みを随や唐の法に習って定めた法律ですが、その中の僧尼令に「スゴロクやバクチは禁止するが、碁琴は禁止しない」という法律が決められました。ここにも碁の記述が見られているわけです。

 

日本最古の碁盤

 奈良の東大寺大仏殿の北西にある正倉院の宝物殿には、聖武天皇(701-756)の遺品や当時の記録・品物が多く納められており、その中に碁盤碁石も保存されています。碁盤は3面、碁石は4種類が保存されていて、碁石の一部は百済国の義慈王が日本の藤原鎌足(614-669)に贈ったものと記録(=東大寺献物帳)が残っています。碁盤は3面のうち、「木画紫檀棊局」(もくがしたんのききょく)が最も有名です。

 

文献・文学に見える碁

 日本で最初に「碁」の文字が用いられたとされる「古事記」や「風土記」「懐風藻」には碁に関する記事が幾つも記されています。
 また、平安時代(794-1192)の文学には、紫式部の『源氏物語』をはじめとして、紀貫之らが纏めた『古今和歌集』、清少納言の随筆『枕草子』などにも囲碁が登場します。これらの文学書から、当時の宮廷を中心にした貴族社会では囲碁が非常に好まれていたことがわかります。
 平安時代、
醍醐天皇も囲碁が大変好きだった様子で、当時の一番の名手で碁聖と言われた寛蓮上人と、金の枕を賭けた話なども伝えられています。その後、囲碁は貴族・僧侶・宮廷の女性達だけでなく、徐々に武士の間にも広まっていきました。清原真衡があまりにも囲碁に夢中になり過ぎて挨拶に来た一族の吉彦秀武を無視したため怒って帰ったことが原因で「後三年の役」となったとさえ言われています。