米原の鎌刃城

 主郭の門、石垣が出土 城主住んだ御殿か

 ◆中世の山城 近世天守への発展示す

 滋賀県米原町馬場の中世の山城「鎌刃(かまは)城」跡の主郭部分から、本格的な門や石垣を持つ「御殿」的な遺構が見つかったと、米原町教育委員会が14日発表した。北側の郭で確認されていた半地下式の建物は二層の天守的な櫓構造だったと見られ、町教委では、織田信長が築いた安土城以降の天守と石垣を持つ近世城郭のルーツの可能性もあるとしている。

出土した主郭部分の門跡など
    (鎌刃城跡/説明しているのは中井均 氏)

 鎌刃城は、十五世紀後半の築城とされ、地元領主の居城だったが、信長と対立した浅井長政の出城となり1570年前後に改修。しかし浅井氏の滅亡後、信長が破城したとされる。
 町教委が1998年から調査。主郭は、山の尾根上に広がる城跡のほぼ中央にあり、東西約四十メートル、南北約三十五メートル。北側には、門の礎石と見られるだ円形の石四個が並び、南側には「コ」の字形に高さ一・二メートル、延長七十メートルの石垣があった。信長の破城などで中心的な建物の遺構は定かでないが、町教委は、周囲の状況から城主が住む「御殿」と推測している。
 また、半地下式の建物跡は昨年、北側の郭で確認され、十メートル四方に高さ一・八メートルの石塁を巡らせていた。新たに、十三個の礎石が約二メートル間隔で並んでいることなどが判明。規模が大きく、鉄くぎが約二百本と大量に出土したことから、町教委などでは、地下室を持つ二層の「大櫓」とし、「大櫓と御殿が一体となり、のちの天守閣に発展したのでは」と見ている。
 中世の山城は、土塁などの土づくりが一般的で、櫓も掘っ立て式の簡単な造りが多かった。同遺跡では、他に南側の郭などで石垣や石段も確認、1579年に天主(天守)が完成した安土城以降の近世城郭に近い構造と分かった。


2000/09/15

 木戸雅寿・県安土城郭調査研究所主査(考古学)の話「信長が浅井氏などを滅ぼすうちに職人や技術を吸収し、それを安土城で開花させたことも考えられる」


<出典:http://osaka.yomiuri.co.jp/azuchi/news/000915.htm より>