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鎌刃城は、十五世紀後半の築城とされ、地元領主の居城だったが、信長と対立した浅井長政の出城となり1570年前後に改修。しかし浅井氏の滅亡後、信長が破城したとされる。
町教委が1998年から調査。主郭は、山の尾根上に広がる城跡のほぼ中央にあり、東西約四十メートル、南北約三十五メートル。北側には、門の礎石と見られるだ円形の石四個が並び、南側には「コ」の字形に高さ一・二メートル、延長七十メートルの石垣があった。信長の破城などで中心的な建物の遺構は定かでないが、町教委は、周囲の状況から城主が住む「御殿」と推測している。
また、半地下式の建物跡は昨年、北側の郭で確認され、十メートル四方に高さ一・八メートルの石塁を巡らせていた。新たに、十三個の礎石が約二メートル間隔で並んでいることなどが判明。規模が大きく、鉄くぎが約二百本と大量に出土したことから、町教委などでは、地下室を持つ二層の「大櫓」とし、「大櫓と御殿が一体となり、のちの天守閣に発展したのでは」と見ている。
中世の山城は、土塁などの土づくりが一般的で、櫓も掘っ立て式の簡単な造りが多かった。同遺跡では、他に南側の郭などで石垣や石段も確認、1579年に天主(天守)が完成した安土城以降の近世城郭に近い構造と分かった。
2000/09/15
木戸雅寿・県安土城郭調査研究所主査(考古学)の話「信長が浅井氏などを滅ぼすうちに職人や技術を吸収し、それを安土城で開花させたことも考えられる」
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