| 寺・宮名 |
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| 阿弥陀寺 | 京都市上京区 |
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明智光秀による本能寺襲撃の報を聞いた阿弥陀寺住職清玉上人はすぐさま本能寺に向かい信長の遺骸を裏手の藪で火葬しその骨を持ち帰り埋葬したと伝えられている。墓所には信長をはじめ、信忠や森乱丸、坊丸、力丸の三兄弟、更に猪子兵助ら12名の家臣の墓もある。本堂には信長・信忠の木像も安置されている。 |
| 大徳寺総見院 | 京都市北区 |
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信長の後継者として世に認識されることを望んだ秀吉が、信長の一周忌の法要を執り行う為に建立した大徳寺の塔中の一つで、墓所には帰蝶(濃姫)やお鍋の方、信長の子息、息女など多くの墓が並んでいる。 本堂には信長の木像、また柴田勝家が朝鮮から持ち帰ったと伝えられる井戸石や当時の駕篭などが残されている。 |
| 大雲院 | 京都市東山区 |
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信長の嫡子信忠の菩提寺。はじめ、信忠が戦死した二条御所跡に建立されたが、後に移転した。信長と合祀の墓石。また、この寺は祇園祭の先頭に出される長刀鉾を出す寺としても有名。信長の肖像画等も伝えられている。 |
| 本能寺 | 京都市中京区 |
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信長終焉の地となった本能寺。現在の本能寺は移転したもので、元は本能小学校付近に在所したと伝えられている。信忠や家臣の供養塔もある。 |
| 妙心寺玉鳳院 | 京都市右京区 | 信長乳母養徳院の菩提寺や、滝川一益の墓もある。 | ||
| 今宮神社 | 京都市北区 |
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| 建仁寺本坊 | 京都市東山区 | |||
| 建勲神社 | 京都市北区 |
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信長を祭神として東京の織田子爵家邸内に建てられたが、明治13年に遷座。 かつて秀吉が計画した信長の菩提寺「天正寺」の敷地船岡山に鎮座する。 |
| 聖隣寺 | 京都府亀岡市 |
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墓は丹波亀山城主で信長の子息秀勝が建立。(篠山城近く) |
| 南宋寺 | 大阪府堺市 |
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信長の他には信忠や徳川家康・千利休の墓もある |
| 高野山金剛峯寺 | 和歌山県高野町 |
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奥の院には、信長の他にも明智光秀・豊臣秀吉など戦国時代を代表する武将達の墓も多い。 |
| 泰厳寺 | 熊本県八代市 |
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細川忠興が丹後の宮津に建立し江戸期に移転。現在は廃寺となり墓のみが残る。 |
| 西光寺 | 滋賀県近江八幡市 |
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元は安土城下に所在したが、豊臣秀次が近江八幡城をつくり城下町を移転させた際に現在地に移転。 |
| 総見寺 | 滋賀県蒲生郡安土町 (安土城内) |
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信長の一周忌に秀吉によってつくられた廟所。安土城の二の丸に位置する。現在伝えられている本丸御殿跡や天主跡ではなく、この二の丸に廟所をつくったのには何か理由でもあるのだろうか。 |
| 瑞龍寺 | 富山県高岡市 |
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前田家の菩提寺であり前田利家と並んで信長・信忠父子の供養塔もある。 | |
| 織田剱神社 | 福井県織田町 | |||
| 本門寺 | 静岡県芝川町 |
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本能寺の変の際に信長の首が密かに持ち出され、遠江のこの地まで運ばれ柊の木の下に埋められたという伝説とともに信長首塚が残されている。 |
| 長興時 | 愛知県豊田市 |
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信長肖像画では最も知られる一枚が残されている寺としても有名。 |
| 総見寺 | 名古屋市中区 |
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本能寺の変後、清洲会議によって尾張を所領とした織田信雄が父を弔う為に建立したもの。その後、江戸期に名古屋に移転。 |
| 総見院 | 愛知県清洲町 |
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名古屋の総見寺三世が寺を復活させ、供養塔も建てられた。 |
| 崇福寺 | 岐阜県長良町 |
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岐阜城と鷺山城の中程にあり、お鍋の方が信長の供養に努めるよう書状を出したことでも知られている。 |