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   衣類・旗    (list-23   衣 類

解 説 文

伝織田軍旗
(阿弥陀寺蔵)

信長軍が使用したという旗

 信長の遺骨を持ち帰り供養したとされている京都の阿弥陀寺に残された遺物。

 阿弥陀寺には昔は多くの織田家関連の品が残されていたという。

 この軍旗も先代の住職の頃まではかなり沢山残されていたらしいが、困窮した時代でもあって止むを得ず処分してしまったものも多かったという。
 現在は一つしか残っておらず、寺の母屋入口の座敷に額に入れられ大切に飾られている。
 色がオレンジ色系に変色しているが、元はもう少し黄色に近い色ではなかったかと思われる。形状からすると足軽用の旗なのかも知れないが、指物にくくりつける部分が無いので、その使用用途は不明である。

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赤地牡丹唐草文
天鵞絨洋套
〔 あかじぼたん  
からくさもん
  びろうどまんと 〕

(上杉神社 蔵)

赤地牡丹唐草文天鵞絨洋套(あかじぼたんからくさもんびろうどまんと)


 日本の史料には、実は信長がマントを着ていたという確かな記録はない。そして、それと伝わる実物もない。ただ、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの『日本史』には、織田信長が「緋色の合羽」を箱に入れていたという記述がある。合羽は元は「カパ」、ポルトガル語のマントのことである。
 山形・米沢の上杉謙信をまつる上杉神社に、それらしい一つのマントが伝えられている。『赤地牡丹唐草文天鵞絨洋套(あかじぼたんからくさもんびろうどまんと)』である。これは、天正二年(1574年)、信長から謙信に贈ったとされるもので、重要文化財となっている普段は非公開の品。ビロード特有の贅沢な質感。唐草模様は日本向けの特注品だったからだろうか。この品は、上杉謙信に贈られた贈答品ではあるが、珍しいモノ好きな信長のことだから、同様のモノを自らも着ていた可能性は高いと思われる。馬上、この深紅(緋色)のマントを翻し疾駆する破天荒な信長を想像してみるのもいい。

 丈115センチ、重さ1.7キロ。

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韋胴服
〔かわどうふく〕

(上田市立博物館 蔵)

〔おだのぶながしょよう・かわどうふく〕

種 別 国重文 工芸品(指定/昭和51年6月5日)
所在地 上田市立博物館(所有者/上田市)

 織田信長の遺品として、旧上田藩主の松平家に伝わったもので、鹿の革〔かわ〕で作られています。「韋〔かわ〕」とは「なめしがわ」とも読み、毛皮の毛と脂〔あぶら〕を取り除いて柔らかにしたものです。「胴服」とは後の羽織のもとになった着物を言います。表は全体に白い小さな模様が染め付けられていますが、これは小紋染といい、今でも和服の地によく用いられています。


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 この胴服は小紋染衣服の最も古い資料のひとつです。模様の割付けや染め方が優れているだけでなく、室町時代の韋製の服飾資料として貴重なものとされています。
 織田信長が永禄11年(1568)、近江の有力な大名六角義賢〔ろっかくよしかた〕の箕作城を攻めたとき、松平家の先祖の信一は、徳川家康からの応援の軍勢を率いてその戦いに参加し、その時の信一のめざましい働きぶりに感激した信長は、着ていた桐紋付きの革の胴服を脱いで信一に与えたと言います。それがこの胴服であると伝えられています。
 また、白鹿革を切り抜いた「五三桐〔ごさんのきり〕」という紋章が七か所に縫〔ぬ〕い付けられています。松平家の家紋となっている五三の桐紋は、これにちなんだものと伝えられています。

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