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   刀剣・鍔・槍・弓・矢・鉄砲    (list-22  

武 器

解説文

義元左文字

京都市/建勲神社蔵

重要文化財

 三好宗三から武田信虎へ。信虎の娘が今川義元へ嫁ぐ際に祝いとして贈られたが、1560年に義元が桶狭間で織田信長に討たれ、戦利品として信長が所持。その時に『永禄三年五月十九日 義元討捕刻彼所持刀 織田尾張守信長』と象眼で施した。

 その後、本能寺で信長が討たれると、焼跡から秀吉が探し出し所持し、後、秀頼に下賜。1601年に秀頼から徳川家康へ贈られる。その後は天明の大火で焼け、再刃され1788年に信長を祀る建勲神社へ奉納され現在に至る…というたいそうな由来がある。宗三左文字とも云われてる。

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へし切長谷部
(相州長谷部国重)

国 宝

 桃山時代の刀剣鑑定家の本阿弥光徳(ほんあみこうとく)が南北朝時代の山城の刀工「長谷部国重」の作と鑑定し、あわせて所有者の黒田筑前守長政と自分の名と花押を中心(なかご)に「長谷部国重本阿(花押)」「黒田筑前守」と金象嵌した。なお、拵は「安宅切」の拵の写し、鍔は信国作である。

 この刀は、もと織田信長の愛刀で、『御当家御重宝故実』によると、織田信長の怒りをかった無礼の茶坊主 観内(かんない)が膳棚の下に逃げ込んだところを、信長がこの刀を棚の下に差し込んで圧(へ)し切ったことからこの「へし切」の名がついたとある。
 また、『黒田家譜』には、黒田孝高が、主人の小寺政職(こでらまさもと)の使いで岐阜城の信長に謁した際、中国毛利攻めの際には主人政職も必ずや加担するとの申し出を伝え、信長から「御太刀(たち)一腰賜りて帰国した」とある。この時の太刀がこのへし切長谷部である。「御太刀」とあるように、これは本来「太刀」であったものを刀に磨(す)りあげたもので、銘が無くなるほど寸法を短くした大磨上(おおすりあげ)と呼ばれているもの。
 作者の国重については、初代は正宗十哲の一人で相州伝の開祖である新藤五国光(しんとうごくにみつ)が相州鎌倉の長谷に住し、一門みな「長谷部」を姓とした一族であると言われている。
 (一説には、国光の子であるという説や、大和国長谷郷の出であるなど多くの説があります。)
信国同様、京の山城伝ではなく相州伝を鍛えた一門です。在銘の太刀は現存しません。

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大般若長光
(備前長船)

東京国立博物館 蔵

国 宝

制作は鎌倉中期。

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長 義
(備前長船)

東京国立博物館 蔵

成立は南北朝。

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法 光
(備前長船)

吉備津神社 蔵

県指定文化財

室町時代

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吉 房
(岡田切/一文字)

東京国立博物館

国 宝

鎌倉中期 織田信長の二男・信雄所持

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名物
津田遠江長光

(銘 長光)

徳川美術館(名古屋)

国 宝

鎌倉期の太刀。信長所持。国宝。

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知識

太刀の違いは?

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(永楽銭象嵌)

永楽銭の象嵌が施されたもの。
信長所用の鍔としては最も有名なもの。

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