上方での織田信長の躍進振りは、東海一の弓取りと言われた今川義元を討ち取った桶狭間の電撃デビュー戦に始り、関東への進出のきっかけとなった長篠合戦など、独創的な戦術の数々は辺境の奥州にさえも届いていた。
伊達政宗は、元服した頃から「信長のようになりたい」と言っていたという。少年政宗にとって、信長が武田軍に対して発案した鉄砲の戦術は、まさに憧れそのものであったという。
しかし、政宗がようやく初陣を飾った翌年、信長が本能寺に倒れたとの知らせが奥州にも届く。少年政宗は憧れの信長の死に落胆したと同時に、いまだ戦国の世が続いていることを実感し、自分にも天下が回ってくる可能性があるのではと感じたにちがいない。
その後正宗は順調に成長し、信長のような独創的な戦略を考案しつつ、まずは奥州の制覇を目論んでゆく。その過程に於いては、信長が行った比叡山焼討ちのような激しいものも多くあった。これらの政宗の行動は、織田信長の再来を思わせ、近隣の諸大名に恐怖感を植え付ける結果となった。
政宗自身が「あと20年早く生まれていれば」と悔やんだというエピソードはよく知られている。一般にその意味は、あと20年早く生まれていれば自分が天下を取れたかも知れないのに・・・と正宗は思っていただろうと解釈されている。
しかし、信長を参考にした政宗だけに、その言葉の真意は、本当は正宗自身が信長と戦ってみたかったのかも知れない。
秀吉の天下が確立してしまった後では、合戦で活躍する正宗の夢は叶うことはなかったのだが、独眼竜正宗の憧れが織田信長であったことは、一般にはあまり知られていない。今日は、ここにこのエピソードを記し残しておこうと思う。
雷蔵(2003.7.25)