逸 話 コンペイトウ

解 説
金平糖

信 長

 永禄12年4月3日、イエズス会宣教師ルイス・フロイスは、足利義昭のために急遽造ることになった二条室町御所の建設作業の現場で、初めて織田信長に謁見がかなったとされている。
 1565年に三好義継に朝廷からバテレン追放の女房奉書が出されて以来、ルイス・フロイスら宣教師は京を追われていた。しかし、信長への謁見が叶えられるとその場での布教の許可を再度信長に申し入れている。数日後(8日)には、京での住居の自由、諸役の免除、布教許可の朱印状を信長から得ることができた。

 フロイスが信長に初めて謁見した時の献上品の中に、『カステラ』などの他の様々な品物と一緒に『コンフェイト』入りのフラスコ(ガラス瓶)を贈ったという記録が『日本耶蘇会通信』に載っている。

 一般に言う「金平糖(コンペイトウ)」という名は、ポルトガル語の「コンフェイト(confeito)」が訛って「コンペイトウ」となったというのが有力な説である。

 また、16世紀頃ではポルトガルでも砂糖は貴重な食品であつたため、貝や魚の形をした小粒のお菓子を司祭や貴族だけが食べていたといわれている。そして、コンペイトウは「金餅糖」、「金平糖」と書き、出世を祝う進物の1つであったと江戸時代の近松門左衛門でさえ著書の「大職冠」に記している程めずらしいものであったらしい。
 フロイスが献上したこのコンペイトウは、現在我々が中元や歳暮に贈るお菓子とは訳が違う、桁外れに貴重な品であったことは間違いない。

 このコンペイトウを信長は食したのだろうか?
 好奇心の旺盛な信長のことだから、食べてみたに違いない。下戸だったと伝えられることもあり、もしかすると甘党だった可能性のある信長にとって、この砂糖菓子はどんな味に感じられたのだろうか。そこまでを記したものは現在残されてはいない。

 参考:農畜産業新興事業団HP      
     
http://sugar.lin.go.jp/japan/view/jv_0103a.htm


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