と紹介されている。信長の相撲好きを示すものとして知られるが、この裏付けはどうなっているのだろうか?
調べてみると『信長公記』の巻三の最初にこの時の常楽寺での相撲の記事が掲載されている。それに寄れば、この時に勝ち残って熨斗付きの太刀と脇差しを戴いてその日から家臣(相撲奉行)に取り立てられたのは、鯰江又一郎と青地与右衛門になっています。また、すぐれた面白い相撲をとったとして深尾又次郎が衣服を頂戴しているが、残念なことに「宮居眼右衛門に与えた弓」の話は出ていない。また『信長公記』では、名前も宮居眼右衛門ではなく宮居眼左衛門となっている。
出典/http://www.wnn.or.jp/wnn-t/nyumon/history/rekishi.html