信長の相撲好きは有名(*1)ですが、現在も相撲界には信長に関わる言い伝えがその上覧の形式としてしっかりと残っていると言います。
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ある年、信長は安土城下で、とび入り勝手の相撲や力競べの会を催しました。刀や鑓、弓、馬術と違って単純に力競べとなると、日頃から畑仕事や漁業をしている百姓のほうが武士よりも断然強い。
沢山の参加者の中から、豊浦(地名)の伝蔵と常楽寺(地名)の右馬次郎という二人が勝ち残りました。伝蔵は東から土俵にのぼり、右馬次郎は西からのぼりました。
二人は太さ七、八寸の爆竹に使う芯竹を握りあって力を競った。しかし、腕力が伯仲していてなかなか勝負がつきませんでした。
この力比べを楽しく見ていた信長は”双方勝ち”とし、褒美と共に東から土俵にのぼった伝蔵には「東」という姓を、西からのぼった右馬次郎には「西」という姓を与えたとされています。
二人の子孫は、現在も安土町に残っており、それぞれ東と西という姓を名乗って居られます。安土をお訪ねの際には立ち寄ってみては如何でしょうか?(→)
(伝説による)
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*1 信長の相撲好きについては、
第8(文化)研究室「趣味/相撲」で扱っています。
ご興味のある方は是非覗いてみて下さい。