織田信長 テーマ年表 -1- <京都に於ける信長宿所の変遷>
信長が京都へ上り宿泊をした場所と時期のみに着目し、その変遷等を考えることを目的とした年表。

年次 入京日 宿所 御供衆
(人数)

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永禄11年 9月26日 東寺
10月14日 清水寺
永禄12年 1月10日
4月13日 妙覚寺
10月11日
元亀元年 2月30日 明智光秀邸 『信長公記』には「三月五日御上洛。上京驢庵に至って御寄宿。」とあるが、山科言継の日記『言継卿記』には二月三十日とある。驢庵というのは京都の光秀の館。
7月4日 明智光秀邸 御馬廻ばかり 同上で、『信長公記』には「七月六日」とあって宿所の記載はない。『言継卿記』には「七月四日」とある。
8月23日 本能寺 『信長公記』には「廿三日下京本能寺御陣宿。」とある。
9月23日 本能寺 『信長公記』に「九月廿四日、信長公城都本能寺を御立ちなされ」とあり、前日の宿泊は本能寺であったことが判る。
元亀2年 9月13日 妙覚寺
元亀3年 3月12日 妙覚寺
天正元年 3月29日 知恩院
7月9日 妙覚寺
7月21日 妙覚寺
11月10日 妙覚寺
天正2年 3月17日 相国寺
4月1日 相国寺
10月下旬
天正3年 3/3 相国寺
4/21 相国寺
6/27 相国寺
10/13 妙覚寺
天正4年 4/29 妙覚寺
6/6 妙覚寺
11/4 妙覚寺
天正5年 1/14 妙覚寺
2/8 妙覚寺
3/25 妙覚寺
F/6 二条御新造
11/14 二条御新造
天正6年 3/23 二条御新造 「御上洛。二条御新造へ御座を移させらる。」とある。(『信長公記』)
4/27 二条御新造
6/10 二条御新造 御小姓衆ばかりにて 「六月十日、信長御上洛。」(『信長公記』)宿所についての記述はみられない。
9/24 二条御新造 「九月廿三日、信長公御上洛。勢田山岡美作守所御泊。次日、二条御新造御参着。」(『信長公記』)
10/1 二条御新造 「十月朔日、住吉より御帰洛。安見新七郎所に暫し御休息なされ、二条御新造に至って御帰。」
11/3 二条御新造
12/31 二条御新造
天正7年 2/18 二条御新造
5/1 二条御新造
9/11 二条御新造
9/28 二条御新造
11/4 二条御新造
12/14 妙覚寺
天正8年 2/21 妙覚寺
3/8 妙覚寺
7/14 妙覚寺
8/23 妙覚寺?
天正9年 2/20 本能寺 『信長公記』十四巻に「二月十九日、北畠中将信雄卿・中将信忠卿御上洛。二条妙覚寺御寄宿。」とあって、信雄・信忠兄弟が前年まで信長の宿泊所としていた妙覚寺に泊まっていた為なのか、信長は翌廿日に本能寺を宿所とする。
天正10年 5/29 本能寺 御小姓衆
二・三十人
『信長公記』にも「直に中国へ御出向なさるべきの間、御陣用意仕候て、(略)今度は御伴これなし。」とある。

研究室 labo-12