| 西暦 | 年号 | 月日 | 織田信長 | 他の主な出来事 |
| 1534 | 天文 3年 |
5月 | 5/12 尾張勝幡城で織田信秀の三男として誕生(幼名:吉法師) | |
| 1540 | 9年 | 6月 |
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織田信秀が三河に攻め入り、安祥城を攻略する。 |
| 1542 | 11年 |
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・斎藤道三、主君土岐頼芸を破り尾張に追放する ・信秀、三河小豆坂にて今川義元に敗北 |
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| 1543 | 12年 | この頃から世間のしきたりを無視、「うつけ者」と呼ばれる | ポルトガル船種子島に漂着鉄砲伝来 | |
| 1546 | 15年 | 古渡城において13才で元服、織田三郎信長と名乗る | 足利義輝13代将軍になる | |
| 1547 | 16年 | 平手政秀の後見で三河吉良大浜に初陣 | ・松平竹千代(家康)人質として尾張へ ・信秀、美濃へ侵攻、斎藤道三に敗北 |
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| 1548 | 17年 | 2月 | 斎藤道三の娘濃姫(帰蝶)と結婚(信秀、道三と講話締結) | 12月上杉謙信家督を継ぐ |
| 1549 | 18年 | 11月 | 熱田八ケ村中に制札を下し、藤原信長と署名(信長文書の初見) | ・ザビエル、キリスト教の布教を始める ・安祥城の織田信広、今川に生け捕られ松平竹千代と人質交換となる |
| 1551 | 20年 | 父信秀流行病で没し、家督を継ぐ <18才> | ザビエル日本を去る | |
| 1552 | 21年 | 8/16 | 清洲城の小守護代坂井大膳らと戦う | |
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閏1月 | 平手政秀、自刃。 | 謙信と信玄、川中島の戦い |
| 4/17 | 鳴海城の山口教継・教吉父子、今川義元へ寝返る | |||
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道三と聖徳寺にて会見 | |||
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1/20 | 今川義元、尾張の村木に砦を築き、織田方の緒川城・水野信元を攻める | |
| 7/12 | 尾張守護斯波義統、守護代織田信友に殺される | |||
| 11 | 信長、上総介(上総守)を名乗る | |||
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1年 |
守護殺害を理由に叔父織田信光と謀り、守護代織田信友を攻め滅ぼし | 第2回川中島の戦い | |
| 清洲城を奪取して城主となる<22才> | 竹千代元服、松平元康と名乗る | |||
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義父斎藤道三、子の斎藤義龍と戦い敗死。信長、救援に駆けつけるが間合わず、 | 斎藤道三没 | |
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弟信勝を擁し林秀貞、柴田勝家らが背く(小田井川・稲生の戦い)。 | |||
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母の助命嘆願により、信長、信勝らを許す | |||
| 1557 | 3年 | 11/2 | 弟勘十郎信勝(信行)が再び謀叛、清洲城に呼び寄せ信勝を切腹させる。 | 毛利元就周防長門の両国を平定 |
| 1558 | 永禄 1年 |
7/12 | 尾張上四郡の守護代岩倉城主織田信賢を破る(浮野の合戦) | |
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上洛し将軍足利義輝に謁見、ついでに奈良、堺も見物。 | ||
| 岩倉城の織田信賢を追放。 | ||||
| 1560 | 3年 | 桶狭間の戦いで今川義元を破る <27才> | 松平元康今川家から独立し岡崎城へ入る。 | |
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美濃の斎藤義龍が急死。斎藤龍興が家督を継ぐ。 | 第3回川中島の戦い | |
| 斎藤龍興との森部・十四条の戦いに勝利。墨俣砦を奪取。稲葉山城を攻撃するが、敗退 | ||||
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三河の松平元康(徳川家康)と清洲城で会見し同盟を結ぶ。 | ||
| 犬山城の織田信清が斎藤氏と結ぶ | ||||
| 1563 | 6年 | 小牧山に要害を創り美濃攻略の根拠地とする | 松平元康、家康と改名 | |
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浅井長政と同盟。 | 第4回川中島の戦い | |
| 斎藤家臣の竹中重治が稲葉山城を占拠。数日後斉藤龍興へ返却。 | ||||
| 丹羽長秀の活躍により、犬山城の織田信清を倒し尾張を統一<31才> | ||||
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東美濃の宇留摩城、猿啄城、加治田城を支配下に置く | 将軍足利義輝殺される | |
| 養女を武田信玄の子勝頼へ嫁がす | ||||
| 1566 | 9年 | 7月 | 尾張守と名乗る | 松平家康、徳川と改姓 |
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美濃河野島で斉藤龍興と戦い、大敗 | |||
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滝川一益に北伊勢を攻略させ、楠城などを奪取 | お市の方と浅井長政結婚 | |
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稲葉山城を攻略岐阜城と改め小牧から移城。 この頃から「天下布武」の印を用いる。 |
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| 娘徳姫を徳川家康の嫡子信康へ嫁がせる | ||||
| 織田・浅井の同盟成立(妹お市を浅井長政へ嫁がす。年月諸説有り) | ||||
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2月 | 北伊勢平定、三男信孝を神戸具盛の養嗣子とする。 | 10月 足利義昭15代将軍に、 明智光秀、信長に仕える |
| 美濃の加納に楽市楽座を認める。この頃から弾正忠を称す | 12月 武田信玄駿府に侵攻 | |||
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足利義昭を美濃に迎える | |||
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足利義昭を奉じ上洛。近江の箕作城を攻め落とし、六角義賢は逃亡。近江を平定。 | |||
| 松永久秀が降り大和の支配権を与える。 | ||||
| 池田勝正、伊丹忠親が降り和田惟政と共に摂津の三守護とする。 | ||||
| 三好義継、畠山高政が降り河内半国づつの守護とする。 | ||||
| 細川藤孝に山城の勝龍寺城を与える。 | ||||
| 将軍義昭から副将軍、管領を勧められるが辞し、代わりに草津、大津、堺の代官職を得る。 | ||||
| 将軍義昭より足利家の家紋である桐、二引両を賜る。 | ||||
| 分国中(尾張、美濃、南近江)の関所を撤廃。 | ||||
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三好三人衆、義昭を包囲、信長上洛。義昭のため二条第を竣工。 | ||
| 堺を屈服させ矢銭を支払わせる | ||||
| 伊勢の北畠氏を攻略。次男信雄を北畠具教の養嗣子とする。 伊勢の関所を撤廃。 |
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| 信雄を大河内城、信包を上野城、滝川一益を安濃津城主とする。 | ||||
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元年 |
将軍義昭に幕府の殿中掟五箇条を承認させる。 | ポルトガル船、長崎で交易開始 | |
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越前の朝倉義景を攻撃、浅井氏に背かれ京都に撤収(金ヶ崎の撤退) | 1月長島一向一揆蜂起 | ||
| 森可成を近江の宇佐山城に、柴田勝家を近江の長光寺城に、佐久間信盛を近江の永原城にそれぞれ留め置き、六角・浅井に備える。 | ||||
| 柴田勝家、佐久間信盛の両将、近江の落窪で六角義賢を破る。 | ||||
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家康と共に浅井・朝倉両軍と戦いこれを破る。(姉川の戦い) | |||
| 木下秀吉を近江の横山城に留め置き、浅井長政に備える。 | ||||
| 本願寺、三好・根来・雑賀と合し挙兵。野田・福島で対峙。 | ||||
| 近江で浅井-朝倉が挙兵。弟信治、森可成討死。 | ||||
| 信長、近江に向かい比叡山に逃げ込んだ浅井-朝倉を囲む | ||||
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将軍義昭の仲介により天皇の勅命で朝倉・浅井と和す。 | |||
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5月 | 伊勢長島の一向一揆討伐のため出兵。氏家直元討死、柴田勝家負傷。 | 6月、毛利元就没 |
| 浅井の将、磯野員昌投降。佐和山城を明け渡し、丹羽長秀入城。 | ||||
| 8月、小谷城に浅井氏を攻める | ||||
| 9月、金森城を陥落 | ||||
| 比叡山焼き討ち。明智光秀に近江志賀一郡と坂本城を与える | ||||
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松永久秀、信貴山城に篭もり謀反。 | ||
| 浅井の小谷城を攻め、羽柴秀吉を虎御前山砦に留め置く | ||||
| 将軍義昭へ十七条の意見書を提出。不仲、明確 | ||||
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三河の徳川家康へ援軍を送るが、武田信玄に完敗(三方ケ原の戦) | 12月、武田信玄、三河侵入 徳川・織田両軍を三方が原で破る |
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元年 |
松永久秀、岐阜へ上り謝罪。信長から謀反を許される | 2月将軍義昭信長に対して挙兵 | |
| 将軍義昭敵対。二条第を囲み、上京放火の上、和す | 4月武田信玄没。 | |||
| 武田信玄、京に向かう途中の伊那で病没(諸説有り) | ||||
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将軍義昭、信長に再度敵対。義昭を追放(事実上の幕府滅亡) | |||
| 朝廷に奏じ元亀から天正に改元 | ||||
| 浅井の将、阿閉貞征が信長に帰順 | ||||
| 一乗谷の朝倉を攻め、朝倉義景自害。前波長俊を越前守護代に | ||||
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小谷城を攻め、浅井久政、長政親子自害。旧浅井領は秀吉へ | |||
| 河内半国守護の三好義継を攻め殺す | ||||
| 正親町天皇に譲位を勧めるが断られる | ||||
| 若狭を丹羽長秀に与える(年月不詳) | ||||
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正月 | 正月の宴で朝倉義景、浅井久政・長政親子の頭蓋骨を薄だみにし肴とす | |
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再び本願寺挙兵、越前守護代の桂田(前波)長俊が一向門徒に殺さる。 | |||
| 武田勝頼に美濃の明智城を落とされ、小里城に池田恒興を置く | ||||
| 従五位下に昇任。昇殿を許される(諸説あり) | ||||
| 東大寺収蔵、香木の蘭奢待を賜る | ||||
| 原田直政を山城守護とす | ||||
| 六角義賢が近江石部城を退散。佐久間信盛に石部城を管理さす | ||||
| 武田勝頼が徳川領の遠江・高天神城を落とす | ||||
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伊勢長島の一向門徒二万人を焼殺。織田信広討死 | |||
| 滝川一益に北伊勢五郡を与える | ||||
| 荒木村重に摂津を与える。荒木村重、有岡城に入城 | ||||
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5月 | 長篠の戦い 織田-徳川連合軍が武田勝頼を設楽原で撃破 設楽原で武田勢は、山県昌景、馬場信春など一万人討死 |
長宗我部元親、土佐を統一 |
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越前一向一揆を攻める | |||
| 原田直政を大和守護(山城兼務)とし、筒井順慶を寄騎とさす | ||||
| 本願寺・三好を攻め、三好康長降伏 | ||||
| 越前の一向一揆を十日間で鎮圧。一万数千人殺す | ||||
| 越前を柴田勝家、前田利家、佐々成政、不破光治らへ与える | ||||
| 従三位 参議 権大納言 兼 右近衛大将に昇任 | ||||
| 嫡子信忠、岩村城を落とし、秋山信友らを捕らえ殺す | ||||
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家督を長男信忠に譲り尾張・美濃を与える。信長は佐久間信盛邸へ | |||
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1月 | 近江安土に城の造営を丹羽長秀に命じ、安土城に移る。 | 上杉謙信、加賀に進出開始 |
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石山本願寺を攻めるが苦戦。原田直政討死 石山本願寺攻めの主将を佐久間信盛に任じ、天王寺城に入れる |
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正三位、次いで内大臣兼右近衛大将に任じられる。 | |||
| 興福寺別当の人事に介入。南都伝奏の勧修寺晴右ら蟄居 | ||||
| 木津川河口で毛利水軍に完敗。本願寺に兵糧を入れられる | ||||
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8月 | 松永久秀、再度謀反。信貴山城を信忠らに攻められ、焼死 | |
| 紀伊の雑賀を攻める。雑賀の鈴木孫一ら投降 | ||||
| 安土山城下町掟を公布。楽市楽座とする | ||||
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上杉謙信の出陣で信長も兵を出すが敗れる。 柴田勝家を総大将として加賀へ出陣。羽柴秀吉、無断で陣払い 柴田勝家ら、加賀で上杉謙信に惨敗 |
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| 信忠、従三位左近衛中将に昇任 | ||||
| 羽柴秀吉に播磨を与える | ||||
| 羽柴秀吉、但馬の竹田城を落とし、弟秀長を入れ置く | ||||
| 従二位 右大臣 兼 右近衛大将 に昇任 | ||||
| 羽柴秀吉、播磨の上月城を落とし、尼子勝久を入れ置く | ||||
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正二位 右大臣 兼 右近衛大将に昇任 | ||
| 播磨の別所長治が叛意を示し、三木城に篭もる。 | ||||
| 上杉謙信、病没。上杉家は家督争いへ | ||||
| 右大臣、及び右近衛大将を辞官。信長は無官に | ||||
| 織田信忠らに石山本願寺に攻め込ませる | ||||
| 滝川一益、明智光秀、丹羽長秀を丹波に派遣、園部城を落とす | ||||
| 毛利輝元、上月城を包囲。織田信忠らを播磨に派遣。上月落城 | ||||
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毛利軍を海上で破る。九鬼嘉隆に鉄船を建造させ、和泉沖で雑賀水軍を破る | |||
| 九鬼嘉隆、鉄船で毛利水軍を木津川河口で破る | ||||
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荒木村重、将軍義昭と通じて謀反。有岡城に篭もる。信長、自ら摂津へ出馬。荒木村重の寄騎、高山長房、中川清秀が信長方に復帰 | |||
| 1579 | 7年 | 6月 | 明智光秀が誘降させた波多野秀治らを安土で処刑 | 家康、正室を殺害・嫡男は切腹。秀吉の軍師、竹中重治病没 |
| 1580 | 8年 | 8月 | 佐久間信盛、高野山放遂 | 柴田勝家、加賀一向一揆鎮圧 |
| 1581 | 9年 | 2月 | 宣教師と黒人に謁見 | |
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追放された佐久間信盛病死。子の信栄赦免される | 天正遣欧使節が長崎を出航 | |
| 信忠、信濃、甲斐へ侵攻。武田勝頼切腹し、武田家滅亡 | ||||
| 滝川一益に上野、及び信濃二郡を与える | ||||
| 甲斐を河尻秀隆、駿河を徳川家康、信濃四郡を森長可に与える | ||||
| 六角義賢を匿った恵林寺を焼く。快川和尚、焼死 | ||||
| 三男信孝へ四国の長宗我部征伐を命じる。信孝、準備を始める | ||||
| 徳川家康、穴山梅雪、拝領のお礼に上洛。明智光秀が接待役 | ||||
| 羽柴秀吉、備中の高松城を水攻め。信長へ救援を乞う | ||||
| 羽柴秀吉の救援のため、明智光秀、細川藤孝らに出陣命令 | ||||
| 明智光秀、連歌を詠む「ときは今あめが下知る五月哉」 | ||||
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光秀の謀反のより京都本能寺にて自刃(本能寺の変)<49才> |