分国法(戦国家法)一覧
分国法は、戦国大名がそれぞれの地域の統治を目的に定めた法律である以上、その形態も地域性やお家柄などが反映され、簡易家法的なものから法典的なものまで実に多様である。
戦国大名は、集落・農村を形成する中小土豪を配下に統合することによって広範囲の地域を統括支配するものであったから、それぞれの所領の境界の所有権争論や内争、年貢等に関する規定も多く、領内での商業の発達した地域では、債権・債務関係の調停が盛り込まれていたりもする。
更に領内の秩序維持のためには、朝廷や幕府に代わる強い上位権威として、調停役の役割が下位の中小勢力からも求められ、刑罰や喧嘩両成敗等の量刑が規定され、名目上ではなく実効力の伴ったものとなっている。
合戦等の軍事行動についても、迅速かつ円滑に戦闘を行い、戦闘をより有利に行うため、家臣を重層に組織することが求められるようになると、寄親・寄子といった制度等が試案され、そういった内容も織り込まれていった。
地域性という観点からみれば、畿内周辺または長期的に健在した守護大名、或いは守護大名から戦国大名化したような統治力の高い勢力のあった地域では、比較的に安定した商業の発展も見られることから、民事的な規定が多くみられる。一方、関東・東北・九州など中央(畿内)から距離的にも隔たった地域では、安定的な勢力が確立されず、領国内統治が遅れている場合も多く、武力的な争乱に対する刑事的な内容が多くみられるように思われる。
以下に戦国時代の代表的な分国法を列挙してみた。
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越前の戦国大名・朝倉孝景が制定した分国法。(制定:15世紀後半) 朝倉家では、宿老をおかずに能力本位で人材を登用するということや、一乗谷への家臣の集住などを定めている。また「一万疋の名刀を買う金があれば百疋の槍を百本買って百人の足軽に持たせよ」という字句も見られ、戦いの形式が個人戦から集団戦へと変わったことへの認識が窺われる。 |
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駿河の戦国大名・今川氏の分国法。(制定:1526年/大永6年) 今川氏親の定めた三十三条(1526年)と、子の義元が定めた二十一条(1553年)の計五十四条からなるもので、訴訟に関する法規が多く見られ、他国人との結婚の禁止等がみられる。 |
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周防の守護大名・大内氏の分国法。(制定:1439年/永享2年) 大内教弘・政弘・義興の三代(1459〜1495年)による五十項目からなる単行法令が集成されたもの。「壁書」とあるのは、壁や門に条文を記した板などを掲げて民衆に示したことから、この名がある。 |
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九州豊後の戦国大名・大友氏の戦国家法。(制定:1515年年) 大友義長(義鑑の父、宗麟の祖父)によるもので、内容は当主には領国の統治方針と遵守すべき事、家臣や領民にはその持つべき心構えなどが多岐にわたって定められている。家法的なもの。 |
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甲斐の戦国大名・武田信玄分国法。(制定:1547年年/天文16年) 「信玄家法」とも呼ばれ、上下二巻から成り、上巻は五十七条の条文、下巻は家訓。軍略や家臣団の統制、治安の規定など多岐にわたる。 |
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奥州の戦国大名・伊達氏の分国法。(制定:1536年年/天文5年) 伊達稙宗が制定したもので、百七十条から成る最大の分国法。鎌倉時代の御成敗式目(北条泰時制定)の形式にならい、ありとあらゆる規定がなされているという意味から、この名がつけられたという。 |
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相模の戦国大名・北条早雲によって制定された分国法(制定年は不詳)。 日常生活や礼儀、文武両道の心得などが、事細かく誰にでもわかりやすく書かれているのが特徴である。 |
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土佐の戦国大名・長宗我部氏の分国法。(制定:1596年/慶長元年) 長宗我部元親とその子盛親により制定されたもので「長宗我部元親百箇条」とも呼ばれ、侍の心得や身分・商業・交通・私生活全般にわたる領内法。家法の「長宗我部元親式目」とはまた別のものである。 |
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下総の戦国大名・結城氏の分国法。(制定:1556年/弘治2年) 結城政勝が制定したもので、「結城家新法度」とも呼ばれる。百六条から成る、質量共に「塵芥集」に次ぐもので、訴訟の手続きや家臣団統制、商取引の規定などが見られる。 |
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南近江国の戦国大名・六角氏の分国法。(制定:1567年/永禄10年) 六角義治が制定したとされるが、実は有力家臣の進藤・蒲生氏などが起草し、義治に遵守を約束させたという珍しい成立のもの。六十七箇条から成り、民事規定が中心となっているのが特徴で、「義治式目」とも呼ばれる。 |
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| 肥後の戦国大名・相良氏の三代にわたる分国法。(制定:1493年/明応2年) | |||
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| 阿波の戦国大名・三好氏の分国法。(制定:16世紀後半) | |||