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赤塚の戦い▲ −−
◆主要データ◆時 期 天文二十一年(1552)四月十七日 (信長19歳) 信長方兵力 800(参戦武将/織田信長・内藤勝介・蜂屋般若介
荒川与十郎・長谷川橋介)敵 対 勢 力 山口左馬助・山口九郎二郎 敵 兵 力 1500 合 戦 場 所 尾張国赤塚(*1) 勝 敗 つかず
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信長が家督を継ぐと間もなく、父信秀の代にはおとなしく従っていた者達が俄に動き出す。
当時鳴海城主であった山口氏も、信長の素行の悪さなどから将来性を見限って今川氏に鞍替えしたと思われる。この謀叛行為に対して信長がこれを攻めるというものである経緯は、まず最初に鳴海城主の山口左馬介、九郎二郎親子が今川方に寝返り、己の鳴海城へ駿河衆を引き入れ、笠寺・中村に砦を築き挙兵に至った。するとすぐに信長は、三の山に進出すると山口九郎二郎は赤塚に兵を進め、最終的に野戦となり激戦となったが、最終的な勝敗はつかなかったようである。山口親子は元は父信秀の配下にあった尾張出身の武将で、身内の戦いとも言えるものであった。 そのため、戦闘後には、人質のみならず馬までも返しあったと『信長公記』に記されている。
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解 説 文 *1 尾張国赤塚 現在は、愛知県名古屋市緑区。(戻る↑) *2 内藤勝介
(ないとう・しょうすけ)信長の傅役としてつけられた織田家家老四人のうちの一人。(戻る↑) *3 蜂屋般若介
(はちや・はんにゃすけ)後の蜂屋頼隆のことだろう。はっきりと断言できないが頼隆の幼名が般若介ではないかと思われる。(戻る↑) *4 荒川与十郎
(あらかわ・よじゅうろう)(戻る↑) *5 長谷川橋介
(はせがわ・はしすけ)(戻る↑)
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