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対今川戦

 初 陣


初 陣  −−

信長『初陣』主要データ

時   期
 天文十六年(1547) 信長14歳の年。

信長方兵力
 不明(参戦武将/織田信長、平手政秀)

敵 対 勢 力
 駿河勢(今川義元)

敵 兵 力
 不明

合 戦 場 所
 三州吉良大浜(*5)

勝   敗
 不明


『信長公記』にみる初陣

 『信長公記』首巻第三項中断に、

翌年(*1)、織田三郎信長御武者始(*2)として、平手中務丞(*3)、其時の仕立、
くれなゐ筋のづきん・はをり、馬よろひ出立にて、
駿河より人数入置き
(*4)三州の内吉良大浜(*5)へお手遣、所々放火候て、
其日は野陣を懸けさせられ、次日那古野に至りて御帰陣。

 とある。

まとめ

 初陣といことで、あまり重要な局面でない場所を選んで出かけ、火を放ち、野陣を張り、一泊して帰陣するという形式だけの戦を演出しているようである。この三州吉良大浜というのは、当時織田氏と友好関係にあった水野氏の領地で、今川領との接点となる。その為、駿河勢が僅かな手勢で偵察的な軍事行動をしたのにあわせての出陣となったのではないかと思われる。この地は、これ以降も信長は何度となく鷹狩りに出向いている場所なので、お気に入りの場所であったのかも知れない。

 この初陣で、最も注目すべきはやはりその土地である。
織田家の嫡男の初陣の地が水野氏の領内であるということは、相当に水野氏との関係が良好であったことを物語っている。松平元康が人質として送られる途中に織田家に浚われたという例をとっても、自領内でない目の届かない場所であれば継嗣が捕らわれてしまう可能性もあるのだから、初陣の場所の選定には気を使うのが当然ではないかと思われる。

 勝敗については、初陣ということで信長方では一方的に「勝利」だと思っているのかも知れないが、実際の衝突・戦闘はなかったのではないだろうか。つまり勝敗はついていないのだろうと思う。

用語解説

解 説 文
*1  翌年  ここでいうところの翌年とは、『信長公記』首巻(三)の文頭で「吉法師殿十三の御歳」とあるので、その翌年となり天文十六年(1547)のことを意味する。信長は十四歳となる。(戻る↑
*2  御武者始(むしゃはじめ)  元服してはじめて出陣すること。初陣ともいう。(戻る↑
*3  平手中務丞
 
(ひらて・なかつかさのじょう)
 信長の傅役としてつけられた織田家家老四人のうちの一人。御台所賄という役にあった。この武者始めでは、後見人ということであろう。(戻る↑
*4  駿河より人数入置き 駿河といえば今川氏の本領である。そこから軍兵が侵入したということだと思われる。(戻る↑
*5  三州の内吉良大浜 吉良は愛知県幡豆郡吉良町。大浜は碧南市。(戻る↑

参考文献 


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