子
信長の子は男子女子をあわせて全部で何人いるのでしょうか? 現在の所では、長男の信忠をはじめとして男は??人、女は??人の合計??人ということになっています。しかし、この中には、元服せずに早世した男子や、嫁に行った記録のない女子などは、裏付けとなるものが無いために、その存在を示すことは出来ませんので、もう少し沢山いたのかも知れません。父信秀も子沢山でしたが、信長も父に負けずに精力家だったと言えそうです。
柏原藩主織田家の人々
柏原藩の初代藩主は、信長の弟である信包でした。その後、信則、信勝と続きますが、世継ぎがなく慶安3年からは、お家が断絶。一時天領になりましたが、今度は信長直系の子孫が代々藩主を勤めました。
<元禄8年(1695)2万石> 信長┬信雄─高長─長頼─信武─1.信休┬2.信朝 │ └3.信舊┬4.信憑─6.信守─7.信貞─8.信敬─9.信民─10.信親 │ └─信應─5.信古 └信孝 <慶長3年(1598)3万6千石> [1]信包 ┬信重 └[2]信則ー[3]信勝
◆信長の娘◆
信長の娘達は**人程いたらしい。しかし、その人数も系図によって異なり、正確なところははっきりとしていない。データの量が少ないだけに、その正誤はともかくとして、確認できたものはすべてこちらに記載した。 各々の名については、女性の場合は武家系図の常としてただ「女」としたり、「○○室」などと書かれることが多く、実名を明確にはできないが、「○○」に当たる部は、嫁ぎ先の居城名やその地名から呼称を使用することがあり、確認できたものは出典をあげたうえでこれを記載した。確認できないものは通例に従い「○○室」などとした。 それぞれの生母、嫁ぎ先、また再婚先が確認できるものは載せた。その多くが同族・家臣相手のようなので、嫁ぎ先の武将名が緑字のものは同族・親類。赤字は他国大名家。白字は家臣と色分けを試みた。また、各々の居城の部分をクリックすると解説へジャンプするようにした。 また、嫁ぎ先で子を産んでいる場合、確認できる者については記載した。
1559/04/09,永禄2/03/02 織田信長の娘で後に岡崎信康の正室となる徳姫(五徳)が尾張清須城で誕生。 1563/03/25,永禄6/03/02 織田信長の娘五徳が松平元康(徳川家康)の嫡子竹千代(信康)と婚約する。 1567/07/03,永禄10/05/27 信長が、娘の五徳姫を徳川家康の長男信康に嫁がせる。 (http://macao.softvision.co.jp/dbpwww/wareki.html)
1559/04/09,永禄2/03/02 織田信長の娘で後に岡崎信康の正室となる徳姫(五徳)が尾張清須城で誕生。
1563/03/25,永禄6/03/02 織田信長の娘五徳が松平元康(徳川家康)の嫡子竹千代(信康)と婚約する。
1567/07/03,永禄10/05/27 信長が、娘の五徳姫を徳川家康の長男信康に嫁がせる。
(http://macao.softvision.co.jp/dbpwww/wareki.html)
1565/12/05,永禄8/11/13 織田信長が、武田信玄の子勝頼に養女遠山氏を嫁がせる。
研究室 labo-2