信長が秀吉の正室である「おね」に宛てた手紙(羽柴秀吉室杉原氏宛消息)は現在も残っています。これは、信長が秀吉を「禿鼠」呼ばわりしていることでも有名な文書です。そしてここに信長の思いやりの情を色濃く見ることが出来ます。
さて、文書の内容ですが、久し振りに安土へご機嫌伺いに参上したおねに対し、おねが帰った後に、沢山の土産へのお礼を兼ねて、武人の妻としての心がけを諭す言葉を添えて手紙を出したといったもののようです。女性宛ての手紙ということもあって、全文殆どがかな書きになっていて、信長の愛情を感ぜずにはいられません。
[文書翻刻文]
(前略)
なかんつく、それのみめふり、かたちまて、いつそやみまいらせ候折ふしよりハ、十の物廿ほともみあけ候、藤きちらうれん\/ふそくのむね申のよし、こん五たうたんくせ事候か、いつかたをあひたつね候とも、それさまほとのハ、又二たひかのはげねすみあひもとめかたきあひた、これよりいこハ、みもちをようくわいになし、いかにもかみさまなりにおも\/しく、りんきなとにたち入候てハ、しかるへからす候、
(後略)
敢えて現代語訳するならば、
以前に会見した時より、遙かに綺麗になっている。お前のように美しい女房をもちながら、藤吉郎はしきりに不足を言っているとのことだが、それは言語道断である。どこを捜してもお前ほどの女を二度と再び、あの禿鼠めが女房にすることができるものか。これより以降は身持ちを陽快にして、いかにも妻女らしい重々しさを示し、かりそめにも嫉妬がましい素振りがあってはならない
といった内容です。
ねねが安土へ参上した折りに、たぶんその会話の中で側室を持つようになった秀吉への嫉妬心や愚痴を口にしたのを聞いた信長が、褒め言葉をふんだんに織り交ぜながら正室のあるべき姿を教えているかのようです。考えてみれば、信長の正室である帰蝶(お濃)にも子がなく、多くの側室に二十数名もの子を持つ信長としてみれば、帰蝶(お濃)への思いから秀吉の正室ねねの心根を思いやる気持ちにはどこかに通ずるものがあったのかも知れませんね。