第二会議室/『信長公記』の解釈検討をする!

議長:(雷蔵 raizo@nobunaga-lab.com)

解釈検討期間:2002/01/01 〜 2002/05/31 (6ケ月間)


議長挨拶 / 雷蔵

首巻

 それでは『信長公記』の輪読解釈検討の第三弾「首巻3(議題番号-003)」を始めたいと思います。
 議長役を務めさせて頂きます雷蔵と申します。どうぞ宜しくお願い致します。m(_ _)m
 さて、まずは解釈検討をする『信長公記』の
本文を下に掲載しました。その解釈の一例(叩き台としてのもの)をそのまた下に示します。本文及び解釈の例文にはそれぞれに対応した行番号を付しました。それを基本材料として、何行目のどの部分の解釈について、こう解釈できるのでは?とか、参加者各自による自由な解釈をして頂き、検討作業を行っていきたいと思います。忌憚のないご意見をお待ちしております。それでは宜しくお願いいたします。


本 文

首巻
 吉法師殿御元服の事

 
  吉法師殿十三の御歳
 2 林佐渡守・平手中務・青山与三右衛門・内藤勝介御伴申し、古渡の御城にて御元服、
 3 織田三郎信長と進められ、御酒宴御祝儀斜めならず
 4 翌年、織田三郎信長御武者始として、平手中務丞
 5 其時の仕立、くれなゐ筋のづきん・はをり、馬よろひ出立にて、
 6 駿河より人数入置き候三州の内吉良大浜へ御手遣、
 7 所々放火候て、其日は野陣を懸けさせられ、
 8 次日那古野に至て御帰陣。


解釈例
 

  
  吉法師が十三歳の年(天文15年)に、
 2 林秀貞、平手政秀、青山与三右衛門、内藤勝介ら四宿老を介添えとして古渡城で元服を執り行い、
 3 織田三郎信長と名乗りを改め、その時の酒宴はとても盛大に行われました。
 4 翌年(天文16年)、信長は平手政秀を後見として初陣を飾ります。
 5 その時の彼の軍装は紅筋の頭巾と羽織、馬鎧というものでした。
 6 今川軍が軍勢を置いている三河国の吉良大浜に出陣し、
 7 所々放火をしたあと、その日は野営を張りました。
 8 次の日に那古野に帰陣しました。



上記の解釈例について、各自、それぞれの解釈検討を行い、自由なご意見をお願いします。 
 ご意見は直接ここへ掲載する方法ではなく、議長である私(雷蔵)のところへメールの形で届けて頂くことになっております。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
 下のマークからメールを送って下さい。
 宜しくお願いします。

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また、参加者によって解釈の検討作業が提案された語句については、
本文および解釈例文の双方の該当語句の文字を
赤字にしています。



解釈検討

首巻
 吉法師殿御元服の事  について

発言NO.

発言者
Date n行目 解釈対象語句

意  見

*no.

発言者

Date

コメント     


 雷 蔵
1/3 1  吉法師殿十三の御歳
 吉法師(信長)が十三歳の年ということは、天文15年ということでよいと思いますので、解釈文にはそのようにしました。問題ないですよね。(

*1-1
     

 雷 蔵
1/3  織田三郎信長と進められ
 「進められ」というのを名乗りを改めたとしましたが、これは「昇進」という意味が込められているのでしょうかねぇ?(

 雷 蔵
1/3  御酒宴御祝儀斜めならず
 「斜めならず」という表現は今後も何度も出てくることになるわけですが、広辞苑などでは「(機嫌・喜びなどについていう)ひととおりでなく、はなはだしい。」となっており、たいそう機嫌の良い様子を表していることになる感情表現のようにもとれますが、ここでは酒宴自体がとても盛大に行われたという意味にとってみました。或いは、主語を信長にして、「信長はご酒宴の際にはたいそう機嫌が良かった」とした方が良いのでしょうかねぇ。何かご意見ございませんか?(

 雷 蔵
1/3  翌年
 吉法師(信長)が十三歳の年を天文15年と解釈しましたから、その翌年は当然ながら天文16年になります。これも問題ないですよね。(

 雷 蔵
1/3  織田三郎信長御武者始として、平手中務丞

 この部分の「平手中務丞」は前後の文章からポツンと浮いた状態で名前がただそこに書かれていて、彼が何をしたとは何も書かれていません。

織田三郎信長御武者始として、平手中務丞、其時の仕立、くれなゐ筋のづきん・はをり、馬よろひ出立にて、

 しかし、この文全体の主語を、敢えて信長ではなくその後ろにある「武者始め」に掛かる修飾語であると解釈すれば「織田三郎信長武者始めとして」となって、この文の主語はポツンとそこにはめ込まれた「平手中務丞」であるようにもとれます。だとすれば、後に続く「其時の仕立、くれなゐ筋のづきん・はをり、馬よろひ出立にて、」を行ったのは実際には信長に違いないわけですが、その仕度というか仕立てをしたのが平手中務丞だったと解釈できます。そのような意味合いから、この部分は「信長は平手政秀を後見として初陣を飾ります。」としてみました。(

 雷 蔵
1/3  其時の仕立、くれなゐ筋のづきん・はをり、馬よろひ出立にて、
 この部分については、角川文庫本の脚注に「紅筋の頭巾・羽織。紅の筋が入った頭巾をかぶり、馬乗り羽織を著、馬鎧をかけて出陣。馬鎧は、馬の面・平頸・胴に、布か革・金などの板を縫いつけ、また紙でつくった鎧をあてる。敵の馬を威嚇する具。」と解説がでておりますね。(

 
 解釈検討作業自体についてだけでなく、この会議室自体についても皆様のご意見等をお待ちしております。
何かお気付きの方は以下宛にメールを下さいますようお願い致します。

雷蔵 raizo@nobunaga-lab.com
 



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